教師の仕事を減らすということ

最近、教師がどのようにすれば仕事を減らせるかという話を耳にします。多くの場合、それはちょっと違うなと感じます。
 
例えば学級事務。新たに学校に学級事務として一人配置すれば、少しは楽になるでしょうね。でもそれは130%の仕事量が125%になるというだけです。ほぼ意味がありません。そのための税金投入量を考えればあまりよいお金の使い方とはいえません。
 
そもそもなぜそんな人を雇ってまで何をしたいのでしょうか? よく耳にするのは「子どもとの時間を増やしたい」という話です。本当でしょうか?放課後子どもと遊ぶことが「教師」として必要ですか? 私は授業の中で子どもと一緒に授業をやっているので、授業で、もうごちそうさまです。放課後なんて子どもたちが自由に時間を使って欲しいなと思っています。
 
また「勉強する時間がない」「授業について話し合う時間がない」「教材研究する時間がない」とよく言いますけど、じゃあ職員室でそんな話題が盛んで時間が足りないというのでしょうか? そう声に出すほどみんな教材研究をしたくて、授業研究をしたくて仕方がないのでしょうか? 
 
確かに私も今の学校は仕事量が多いと思います。130%位の仕事量を時間内に押し込めていることから様々な問題が起こっていることはよく分かります。しかし、多くの「対応策」でいうような中味を減らし方をしても、実は子どもと触れあう時間とか、教材研究ができる時間が増えるわけではありません。
 
例えば、古田さんが北海道に行って分かったことは、郡山で行っている帳簿類の半分もありません。部活動も盛んではありません。おそらく教職員組合が強い地域なので物理的な仕事量はかなり軽減されているだと思います。じゃあその北海道では福島県よりもより子どもたちと触れあう時間が長くて、教材研究が盛んかというと、そうではありませんよね。
 
実は仕事量なんて減らそうと思えば減らせるんです。実際に本校ではかなり軽減されています。でもそれが実現したのは「子どもの学力を上げるために何が必要でどうすればいいかという議論を5〜6年前からことあるごとに先生方で案を出し合ってきたからです。また、PTA活動も福島県で一番保護者が自立している組織だからです。
 
多くの場合、教師は自分たちで自分たちの首を絞めているところがあります。大事なのは、この学校をどう自分たちで向上させていこうかという話し合いを活発にしていくことであり、そうした話が日常的に職員室内で行われるということなのです。
 
事務の仕事をちょっこと減らして、授業研究会を2〜3回増やしたとしても学校としての教育力なんて1ミリも伸びないのです。私は自分の学校の子どもを守るためにも、自分の家族を守るためにも声をあげてきました。もちろん勝手な話ばかりではなくて、先輩の先生方ともちゃんと根回ししてね。そしてそれと引き替えに学校としての結果(成果)を向上・維持してきました。でも仕事量事態はは市内の学校でもかなり少ない学校だと思います。
 
私は特に子どものいる女性教師は17時前には家に帰って欲しいなと思っています。買い物をして帰ればそれでも18時を超えることでしょう。そして夕ご飯を作れば19時です。家族みんなで夕ご飯を食べられるような家庭でなければ何を持って子どもに未来を語れるでしょうか。
 
私は教師の仕事が多いと嘆く前に、仕事量を減らすためにまず自分が自分の学校でできることを考え、一歩を踏み出していくことが大事だと考えています。家族みんなで夕ご飯を食べられる社会をめざしていきましょう。