縮小するということ

私の実家は2回の増築を重ねて今では11部屋ほどあります(豪邸とかではないですよ)中には1年間一度も入ったことのない部屋もあります。親は私が実家に住み、嫁さんをもらい、子どもをたくさん生んでもらって大家族でも住めるように考えたのでしょうね。しかし、現状では両親が二人でその家に住んでいます。休みがあれば実家にはできるだけ行くようにしていますし、雪が積もれば屋根の雪下ろしにでかけます。それでも年々両親にとっては実家を維持することが厳しくなってきています。もっと老人にとってコンパクトで住みやすい住まいが必要なのですが、なかなか経済的に厳しいのが現状です。
 
さて日本という国も教育もこれから大きく縮小していきます。本校でも私のいる6年間で450人ほどから300人へと(もちろん放射線関係の減少40人程度もありますが)減りました。それに合わせて職員室の教師も減ってきています。これまで維持できてきたことがかなり厳しくなってきているのが現状です。
 
学校という所はとにかくどんどん雪だるま式に積み上げていくことが大好きです。まるで国債のようにね。積み上げることはプラスになるのですから、誰もが賛成します。しかし、減らすとなれば周りの目を気にして手を出そうとしないのが普通です。これは人口が減少してある公共施設が閉鎖になるときに必ず反対運動が生まれるのと同じです。
 
しかし、日本の人口も、子どもの数も、教師の数も減少している中ではこれまでできていたことを縮小させていく必要があるのです。そのために「何が必要なのか」というそぎ落としが必要となってきます。これは管理職としては誰もやりたくない仕事になってくることでしょうが、教室の質を維持・向上させるためには絶対に必要なのです。
 
今あるものをよりコンパクトにして、「本当に」子どものために必要なことに時間とお金と人力を投入する。これがこれから求められる学校の姿でしょう。昭和〜平成までの時代とは変わったことを認識できるかどうか、私たち教師もまた問われているのです。