現状の授業の問題点1

現場から見る「現状の授業の諸問題」を明確にしておきます。
 
1.授業が児童生徒に対応していない
 
 多くの授業を観てきて感じることは児童生徒がそもそも授業そのものに「参加していない」ということ。これは小学校→中学校→高等学校(学力の低い学校ほど)と授業のへの参加率が少なくなっている。比較的参加意欲の高い小学校でも「普段の」授業の参加率は半分程度である。教師の多くは、自分の意見を汲み取ってくれる子どもへ意識が向けられるのでそこに気がついていないことが多い。
 
また、研究校公開などでも参観する教師の目線は教師の教材・板書・シラバス・教師の指示などに着目され、子どもたちがどんな「目」で授業をしているかなど見ていない。黒板側から子どもの姿をビデオで記録し分析すると、ひどい授業では2割程度しか参加していない(教師の話さえ聞いていない)ことが分かる。多くの場合、教師からの指示を「ずっと」待ち続け、教師の意図を汲み取ることに専念する。そして「分からない」生徒は、教師と目線を合わせることを恐れ、じっとノートとプリントに「しがみついて」いる。「分からない」ことを「分からない」と言えるのは、クラスの中の上位の児童・生徒でしかない。
 
 そんな授業なのに事後の分科会では、教師の教材論・シラバスなどが着目され、授業者は得意げにこれを語り、授業のそのものが(子どもがどう取り組んだか)評価されることは「まれ」である。中学校・高等学校であれば他教科の教師から授業の指摘されようものなら「教科教育の何が分かるわけ?」と反発を招くだけなので、誰もそれを指摘することはない。
 
 ただ、中学校以上になると授業を聞いていない生徒はその姿を明らかにするものだから、教師は無視できなくなる。ただ、受験という縛りが存在するために気の弱い生徒には「受験」という圧力を盛んに口に出すようになる。しかし、「受験など関係ない」という生徒にはどうにもならなくなり、生徒指導で対応したり、部活動で「発散」させて中学校生活に意味を持たせるのが精一杯である。
 
 そんな授業をする多くの教師が「専門性」という言葉を口に出す。「専門性」という言葉は一種の免罪符になっている。どんなに授業が下手であろうとも「専門性」が高ければ、よくなる「はず」だと考え、授業がうまく行かなければ「もっと専門性が高ければ」という。それは小学校の教師が中学校の教師に授業のアドバイスを受けてもそれほど授業がうまくならないように、中学校の教師が高等学校の教師にアドバイスを受けても変わらないように。
 
 確かに「専門性」は重要である。更なる高度な理解のために。しかし、その基盤に何が必要なのか分かっていないのである。
 
 
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