現状の授業の問題点2・3

現場から見る「現状の授業の諸問題」を明確にしておきます。

2.授業の準備も評価も時間は無限ではない
 
小学校高学年の授業コマ数は少ない人でも週25コマはあります。しかも「繰り返し」はありません。そこに膨大な書類を処理し、克つ公務分掌をこなし、保護者への対応、郡山市だとそこに部活動も加わります。部活動の時期だと授業のことを何もしないまま18時近くになります。そこから何ができるでしょうか? 小学校の教師の場合、現場の教師の7割は女性で、その多くが主婦も兼ねています。自分の家庭を維持しながらどれだけの準備・評価できかというと個に合わせたものなど「ほぼ無理」です。
 
中学校ではどうでしょうか? 複数クラスを担当することになるので小学校よりは、授業の準備負担は少ないと言えます。その上、小学校よりもコマ数は少なくなります。しかし、部活動の負担は尋常ではありません。
  
では、これらの校務のスリム化、部活動の廃止をしたとして個の能力差に合わせた授業準備・評価が可能でしょうか? それは「不可能」です。よく研究公開で「個に対応した」「どの子も学べる」という手だてに、子に合わせた教材準備、それこそ個別評価表などを準備します。近隣の小学校にテレビ局が取材に入ったときに、ある教師は「「この」授業のために1か月前から毎日遅くまで準備を重ねてきたんですよ。」と堂々と答えていましたが、どこでもこんなものです。そしてそれだけの時間をかけて「練られた」教材でも失敗することも多々あります。
 
こんなことを毎日・毎時間それに対応できるかというと不可能です。中・高等学校の教師でもクラスが変われば子どもが変わります。教師が個に合わせるということは「不可能」です。furu-tさんの言葉をかりるなら「教師なら空を飛べ」のレベルです。
 
もちろん、やらなくて良いのではなく、努力することをさぼって良いのではありません。理想論ではなく、不可能であればどうすることが子どもにとって最も大事なのかを考えなくてはなりません。
 
これを「教師の努力が足りない」と言っても何も解決しません。教師が個に合わせるということは不可能であり、毎時間評価をとって次時に生かすという考えを捨てれば、道は切り開かれます。
 
 
3.教師は平均的な学力の子どもに合わせている
 
授業のレベルを落とせば、子どもはすぐに飽きます。「処理速度」の速い子どもは、飽き飽きして暇つぶしをするしかありません。余談ですが、よく授業参観でクラスの子どもがみんな手を挙げている授業を見かけますが、あれば単に授業のレベルを落としているからみんなが手を挙げているにすぎません。本気で学んでいるなら、教師に意思表示する暇などありません。大きな声で「ハイ・ハイ」言っている授業は非常にレベルの低い授業ですが、保護者は自分の子どもが「元気よく」答えているので安心してしまいます。
 
逆にレベルを上げれば、上位の子どもが対象となるために、落ちこぼれが続出します。本当はレベルは上げなければならない。でもいくら教師が言っても子どもたちは家庭で勉強などしないし、放課後残って勉強もしないものだから、実現は不可能です。だから授業は、学力のほぼ平均的な子どもが1時間で「できる(それは分かるではなく)」レベルに合わせて授業が進められます。
 
つまり、多くの授業では低学力の子どもは、板書することでしか授業に対応できず、上位の子どもは暇な時間をもてあますしかなくなります。最も可哀想なのはなのは低学力の児童や生徒で、教師の手だてが頼りなのに教師は「気が向いたとき」だけ、言葉をかけてくれます。授業中は間違えると恥ずかしいのでできるだけ指名しないでくれと願っています。
 
ちなみに、多くの教師はこの中央の学力ゾーンで教育を受けてきたと言えます。教師とって一番自分の授業を理解してくれる学力のゾーンの児童や生徒だった人が多いことでしょう。その「成功体験」をまた自分の授業で再現しています。だから、低学力の子どもの苦しみも、高学力の子どもも退屈さも分かりにくいのです。
 
 
 
もう少し続きます。