教科書「で」学ぶということ

よく教科書「を」学ぶのでなく、教科書「で」学ぶのだと言われます。私もその通りだと思います。でも「を」と「で」で何が異なるのでしょうか? 経験の浅い教師にはこの違いは分かりにくいと思います。私の実践していることをもとに説明したいと思います。
 
 
今年の自分のテーマは「国語力をどう上げていくか」です。他の教科では学び合い学習でかなり実践が集積されておりますが、言語というのは伸びていることがとても見えにくく、またその結果もテストに現れにくいものです。だからこそ、今年はここに思い切りメスを入れようと思っています。
 
今は「説明文」の学習を行っています。光村の「アリの行列」はとてもよい説明文です。説明文としての構造がとても見えやすいのです。その後は調べたことを説明文にする単元が続きます。
 
これは私はクロスカリキュラム化して、社会科の「学校のまわりのようす」で調べたことを説明文にしています。社会科で実際に分かったことをどのような文章でまとめたらよいか、簡単に社会の教科書にも載っておりますがとても貧弱なものです。ならば国語の力をそのまま社会科の乗っけてしまえばよいのです。ですから、授業は社会科なのに教科書は国語の教科書が載っているという変なことが起こります。
 
これは現行の学習指導要領の改善点にも記載されている「各教科を通した言語活動の充実」そのものですよね。これは理科のレポートにも当然これから使っていきます。ですから理科の授業にも国語の教科書が載っているなんてことも起こります。
 
これは小学校教師だからこそフレキシブルに行える授業ですよね。中学校の教師だと教科の連携を綿密にしなければできません。でも効力は高いはずです。
 
これが教科書で学ぶと言うことです。教科書を勉強すれば分かるようになるなんて言うのは幻です。「一度やれば分かるはず」なんてことがあるはずもなく、それを忘れないように宿題にしても下位の子どもにはちんぷんかんぷんなまま苦しむことになります。
 
一度学習したことを他の教科との関連の中で何度も何度も学び直すこと、これこそが教科書で学ぶと言うことであり、私の今年の戦略でもあります。もちろんこれは昨年度も行っていたのですが、今年はそれをしつこく徹底させることが大事だと考えています。
 
そして何よりも大事なのは子どもの「目線」です。国語を学ぶことによって自分の学習がより高度になっていることを実感させることこそが、「学び続ける子ども」を育むのです。
 
ね? こんな授業してみたいと思いませんか? だから教材研究が必要なのであるし、子どもの学習の基盤として学び合いが必要なのです。