話し合わせればいいってもんじゃない

よく古田さんが授業を止めて軌道修正させるという話がありました。いろいろといちゃもんがついていましたが、私も授業を止めて軌道修正することが大事だと思います。
 
 
学級でめあてを作りました。空いた部分をどうするか子どもたちが話し合っていました。私はめあての言葉をのり付けしながら、子どもたちの声に耳をすましていました。
 
「折り紙がいい人、手を上げて」
「絵を描きたい人は?」
「じゃあ好きな絵も描くでいいですか?」
「では、みんなで好きなようにやるでいいですか?」
「はい!」
 
「あ〜あっ。こりゃダメだ」と思い、子どもたちの方へ目をやると、案の定、隅っこで女の子がひとり泣いていました。私にはすぐに何を泣いているのか分かりました。それを指摘すると子どもたちは「どうして泣いているの???」と理由を尋ねていましたが、何がダメなのか分からないのです。
 
ということで次のような話しをしました。
 
 
学級のめあてって何でしょう? 自分のためのものでしょうか? 違いますよね。 そうです。みんなのものです。 そのめあてに何を描くか、考えたときにみんなはどう考えるべきでしょうか? 自分の好きなポケモンの絵を描いたり、好きな折り紙を貼ったりすることが本当に良いでしょうか? ○○さんが泣いたのはそこでしょ? (本人うなづく) ○○さんは、みんなを考えて何とか「みんな」で一つのものにしていきたいって思っていたんだよね。(本人うなづく) この教室は「みんなの空間」であって、みんなにとって居心地の良い場所を作っていくことが大事なんだよね。その時に大事なことは何でしょう? 
 
そして、話し合いでもう多数決は止めましょう。どんなに小さな意見でも大事なことがあります。話し合いで大事なのは、誰もが違うはずの意見を話し合うことで一つの方向にまとめていくことなんです。話し合ってもみんながそれぞれ好き勝手だったら、話し合わないとのなんら変わりありませんよね。
 
 
うちのクラスの子どもたちはまだまだ力が足りません。でもこうして一つ一つを丁寧に軌道修正していくことで、人と関わり、折り合いを付けていくことができるようになります。そのためには教師の絶対的な看取りが必要であり、それを切り返していく話術が必要です。それは教師にしかできないものなのです。
 
一回「ありがたい話」をして、子どもがその通りに行動する、考えてくれるなんて思っているしたら、よほど子どもが見えていない証拠です。こうしたことを「1年間やり続ける」ということが教師の仕事なのです。やり続けることでしか子どもは成長しません。成長してくればさらに高い話し合いに移行するのです。
 
ですから「子どもが話し合った結果○○に決まった」なんていうのは本当にそれが子どもたちにとって良いものかどうかを教師がちゃんと判断しなければいけないのです。
 
 
 
二度目の話し合いでは、子どもたちは似顔絵を描くことになりました。「えー、おれやだ!」という声も「だって絵が下手なんだもん」っていう声も聞こえてきました。でももうしばらく話し合った後では、みんな納得して絵を描くことになっていました。
 
完成後。
どう? 好きにやった方が良かった? 「ううん。」 みんなで話し合って「これ」が完成して良かったでしょ「うん!」