教科担任制2ヶ月の振り返り その2

ずいぶん間が空いてしまいましたが続き「うまくいくための仕掛け」について
 
教科担任制を専科で行うというシステムを考え出したと同時に、あることを仕掛けようと考えていました。それは「専用教室」です。中学校ですと「移動型」ですね。つまり「特別感」を作ろうと考えていました。人はこの「特別感」というものに弱いものです。子どもならなおさらです。
 
本校は20年前は1000人ほどいた大規模校ですが、今ではその半分以下となりました。空き教室もずいぶんあるので、算数専用の教室を作ることができます。そこで「学習センター」という教室を作り、そこで「算数だけ」に特化して授業を行うことにしました。
 
こうすると、子どもの意欲の面だけでなく、僕のメリットが飛躍的に大きくなります。まずは僕の負担が減ります。僕が教室を駆け回るよりもずっとスムーズに授業を運営できます。また小学校は学級担任制なので、他の先生も「自分の教室」という雰囲気があります。そこに分科でよその先生が入るというのは実は、結構嫌なものなのです。ですから子どもが他の教室に行ってくれる方が安心感があり、「自分の教室」で宿題のまるつけや、作品の整理、授業の準備ができるのです。
 
さらに、授業はそこで連続で行われるので、前のクラスの足跡が残っているというメリットもあります。黒板やホワイトボードに解法が残っていれば、次の時間にそれを活用して学習することも可能です。
 
また、学習センターの廊下には、算数オリンピックレベルの問題が掲示されています。新しい問題がでると、算数好きの子どもが集まってきます。中には机を運び込んで廊下で勉強している子どももいます。
 
算数の教科担任制には、実はこうした仕掛けがふんだんに取り入れられているのです。こうしたことが矛盾なく、スムーズに運営されているのです。

教科担任制2ヶ月間の振り返り その1

算数の教科担任制から2ヶ月間が過ぎました。ここまでを振り返ります。

約2ヶ月間の脳内シミュレーションを経てからの算数教科担任制のシステムは、極めて順調です。ほぼ僕の予想どおりにカリキュラムは進行しています。各学校で僕の学校のような規模、児童数400人程度の学校であれば、システムとして、算数の教科担任制は十分に可能であり、効果はとても高いことが十分に実証できました。
 
小学校の教師が「算数の教科担任制」と聞いて、まず考えることが「そもそもそんな教科担任なんて必要なのか」という根本的な疑問です。この話が降ってきたときには僕でも「それはちょっとなぁ・・・」と躊躇しました。その理由として算数は「手放したくない」と考えている教師がほとんどだからです。算数は小学校の授業の根幹を担う教科で、子どもの「できる・できない」が国語などの教科に比べて見えやすいと考えられています。見えやすいということは、子どもをそこでコントロールするきっかけにできるとも言えます。例えば、授業態度がよくない子どもに「できない」ことを示して「ほら、だからちゃんと勉強しないと!」というきっかけにもなります。逆に自分の言うとおりに子どもが頑張り、問題が解けたら「よく頑張ったね!」と評価することで子どもから教師としての信頼感を得ることができます。そうした意味で、算数は「とても見えやすい」と言える教科なのです。国語のようにできる・できないが見えにくい教科や、理科のように極めて専門性が高い教科であれば、抵抗がなくとも、見えやすい算数を他の教師がやるとなれば担任は少なからず抵抗感があるのです。こうしたことから、僕は当初、この算数教科担任制は無理が強いのではないかと考えました。しかし、実際に授業をやってみて算数も極めて専門性は高いし、教科担任制にするメリットの方が大きいことが分かってきました。ここについては僕が予測していた以上です。
 
僕は以前も中学校の理科の授業を1年間受け持っていたので「なんとなく」教科担任制のメリットは分かっていました。6年生の算数を3時間やっているとどんどん授業の質はアップしていきます。小学校ですと授業は一期一会ですから、うまくいかなければ次時で調整となりますが、同じ授業が繰り返されるのですから、即時調整できます。またスケールメリットも大きい。あるクラスでの発見が、次のクラスの課題となり、ヒントともなります。6年生は85名ほどいますので、その85人合力で授業が構成されていきます。こうした意味では僕の授業は1日の中でどんどん洗練されていきます。逆に一期一会の授業の繰り返しとなる学級担任制が怖くなります。
 
また、算数は他の教科と違って、時数が多いのも大きな「メリット」です。高学年の授業時数は週に5時間。実はこれが算数の教科担任制を阻む大きな理由でもあります。1クラスの算数を担当すればそれだけでも5時間。3クラスで15時間です。僕は5クラスまでならいけると主張したのですが、さすがにそれはだめだということで、2クラス分はチームティーチングとして指導することにしました。時数が多いということは、それだけ濃く強く関わることができるということです。高学年をチームで育てるという場合に、時数を多く担当するというのはメリットなのです。算数の教科担任制を入れることで高学年の教師間のつながりが強くなります。これは生徒指導機能としても非常に有効です。そして、このスケールメリットは、効率の面でも非常に有効です。学級担任制時代は、算数の単元テストの効率化を図るために、複数の単元を一緒にやって時間を生み出していました。しかし、教科担任制ともなればそうもいきませんから、単元が終わるごとにテストをしなければなりません。そんな場合でも、3クラス同時にテストを実施し、僕はその3つの教室を行き来します。その間、6学年の担任は全員空き時間となりますから、学年打ち合わせを取ることができます。僕は3時間のテスト時間を1時間に圧縮し、空いた時間で採点して、その日の午後にはテストを返却できます。ちなみに小学校の単元テストのレベルだと早い子どもだと10分で終わりますが、終わった子どもは次の単元の予習に入っているので遊ぶ時間はまずありません。
 
次回は「うまくいくための仕掛け」について

3つの力

今日は、これまでの取り組みを振り返り、その効果を計る意味もあり、ずっと子どもを観察することに集中して、授業を行いました。ずっと子どもを観察することで、心の状態、特性、関わり、集中などなどをモニタリングできます。そうすることで、これまの自分の授業の課題、そしてこれから子どもをどう育てていこうかと、考えが浮かんできます。これがいわゆる看取りの力で、これらの看取りからフィードバックをかけていくことで、今は水平にも、垂直にも軌道修正をかけることができるようになってきています。
 
さて、授業を進めていく上ではこの看取りの力は最も大事なのですが、他にも大事な力が2つあります。看取りの大切さは上記のようにこれまで何度も取り上げてきたので、今回は他の2つについてお話しします。
 
授業を進めるにあたって2つ目の大きなファクターは「技術」です。方法や型と言い換えても良いかもしれません。特に若い先生にとっては最初に身につけるべき力だと思います。授業の技術は多彩であるほど良く、子どもの性質、人数、環境などに合わせて、時には技術と技術を組み合わせながら、授業を進めていくことができます。こうした授業の技術がないと、「子どもを自分に合わせさせる」ことになり、時に子どもは反発するのです。ですから、若い先生はこれまでの実践で集積されている技術を書物や講座、Webなどでどんどん取り込んでいくと良いです。
 
そして3つ目の大きなファクターは「教育哲学」です。自分は子どもをどう成長させたいのか、自分は授業を通して、子どものどんな力を伸ばしていきたいのか、そうした自分の教育の方向性を見定めていく力です。こうした教育哲学は、どれだけ同僚の先生などと対話をしてきたかで、深まりは異なります。全く自分とは違うような授業をする教師でも、話をしてみると実は子どもを同じ方向性で育てようとしていることを知ることもあります。
 
この3つの力はもちろんのこと、一つだけやれば良いのではありません。この3つの力は複合的に絡み合いながら子どもに投げかけられていきます。ですから、技術だけでもダメですし、哲学だけでもダメですし、みちろんのこと、看取りだけでもどうにもなりません。これらが3つ揃って初めて効力を発揮できるのです。ですから、うまくいっている人の実践技術だけを取り入れていっても長続きしませんし、看取りだけしていても子どもの力は高まるわけではないのです。

こうした3つの力は、子どもが持続的に学ぶための大きな基盤なのです。

医師と教師

最近、群馬大学を発端とした医療事故が、メディアをにぎわせています。内部の詳しい内容は僕には分かりようがありません。でもこの医療事故は、私たち教師にとって無関係なことでしょうか? 僕には他人事とは思えません。医師は人の命を預かり、教師は人の成長を預かっているのです。今回の医療事故は私たち教師も他山の石として自分を振り返り、より自分を磨き上げていくことにつなげていかなければならないのではないと僕は考えます。
  
僕は多くの子どもを踏み台にして「今」があります。若いころは当然、技術は未熟だし、知識はもっと未熟だし、世の中の流れも分かりません。そんな時代にも、子どもの前で教師として立ち回らなければなりません。それはまるでインターンの医師が患者をあてがわれるように。以前、半年以上慢性蕁麻疹が治らず、どうしようもなく病院の総合科を受けた時に、若いインターンの医師が対応したのですが、「僕もときどき蕁麻疹出るんですよね〜」で診療は終わり、とても腹立たしく感じたのと同時に「こんな若い医師に分かるわけないよな〜」と諦めの気持ちもありました。でもこれは僕の若いころも同じで、教育相談で20代前半の僕に教育の悩みを話したところで、大した答えはできませんでしょうし、保護者もそんな僕に期待もしていなかったことでしょう。
 
でも医師も教師も30代を超えたころから、さまざまな理論を蓄積していき、新しい技術を取り入れて、現場で実践していく段階になります。しかし、これらは患者(子ども)、そして自分、さらに環境に合わせた形でカスタマイズされなければうまく機能しません。それらで成功している人には膨大な実践がともなっていて、そうした細かなノウハウはどんなに説明しても説明しきれるものではないからです。そうなると医師も教師も場合によっては、技術や理論で患者や子どもを振り回してしまうこともあります。また、僕のようなイノベータータイプの教師は、大きな利益を求めるために、かなりリスキーな実践を好みますから、それに子どもが振り回せれてしまうこともあります。こうしたことを防ぐために、強烈な振り返りの力と子どもの看取りの力が必要となります。先の医療事故の件も、状況にフィードバックがしっかりとなされていれば、防げた事例も多かったのではないでしょうか。
 
僕は新しいことを始める際には、何度も何度も入念にシミュレーションします。実際に始める際には、常に子どもをモニタリングして、状況が悪ければすぐに改良を加えます。数ヶ月で効力が出なければバッサリと止めることにしています(幸いシミュレーションをしっかりと行うので、そうしたことはほとんどないのだけれど) でもそれだけ気をつけていても、僕には言えないだけで「そりゃないよなぁ〜」と思っている子どももいるはずです。
 
完璧な医師がいないように、教師もまた完璧な人などおりません。僕は三分の一の子どもは僕に合わせてくれていると考えるようにしています。そう考えることで自分の実践を常に別の目線で監視しているのです。

教科担任制3週間

教科担任制を3週間が過ぎました。この間、全国学力テストの準備や実施、振り返りなどを入れてもまだ時数には余裕があり、そして子どもたちも意欲的です。その秘密はいくつかの「しかけ」を準備しているからです。
 
教科担任制にすれば学力が上がるなんていうのは「幻想」で、中学校の数学免許を持っているとか、研究しているとか、そうしたことが子どもの学びに直結するわけではありません。下手するとより一方的な学習展開になり、折角の教科担任制に対して子どもたちが幻滅してしまいかねません。そこで僕は幾つかの「しかけ」をこの教科担任制に盛り込んでいます。
 
その一つは、もちろん「協働学習」です。ただ協働学習が本格的に機能するにはそれなりの時間がかかります。昨年持ったクラスは、当然のごとく僕が何かいう前にかってに学び合っているのですが、一方で他のクラスでは一人で一生懸命に考えようとしています。こうしたクラスが、主体的に学べるようになるには、僕は半年はかかると踏んでいます。ですから無理に学び合わせることはせず、子どもが「学び合ったほうがよく分かるようになる」と実感できるまで、ゆっくりと授業していこうと考えています。
 
二つ目のしかけは「予習先行型授業」です。別に本格的に反転学習をしようとしてるわけではありません。明日、そしてこれから自分はどんなことを勉強するのか、教科書を読んでみる、教科書の問題を解いてみるといった簡単なことです。でも何を勉強するのか、自分は何が分からないのかを事前に分かっているだけで、授業の集中も、意欲も、関心も違うものです。子どもたちがちょっとした予習をしてくるだけで、授業のスピードは1.2倍〜1.5倍程度にスピードアップします。今後は学力下位の子どもでも予習しやすい(予習の最大の問題は学力下位の子どもが手を出しにくいこと)ように、放課後の学習部で支援していきます。
 
3つ目のしかけは「ノート」を作り。これまでのインタラクティブカリキュラムとは別に3〜4年ほどノウハウを蓄積してきました。教科担任制になった今こそ、これを発揮するべき段階になりました。そのノートの秘密は「メタ認知」にあります。今も試行錯誤を重ねながら、子どもが学ぶ自分を客観視し、学習の状況を自分自身でモニタリングできることをめざしています。この取り組みは、僕の提案で近隣の2つの小学校と進学先の中学校にも派生させていくことが決まっています。今先行して行っている算数のノートは、周りの1000人以上の子どものモデルとなっていくことでしょう。
 
最後のしかけは、上位の子どもをフルパワーで学ばせるということです。私たちはどうしても下位の子どもたちに気を取られ、上位の子どもを待たせます。でも上位の子どもは上位なのですから、もっともっと難しい学習を行いたいのです。ですから、もっと難しい内容を準備してやらせてあげればいいのです。そうなれば、僕も下位の子どもを十分にケアできる時間ができます。
 
こんな感じで教科担任制は進んおります!

教科担任制 最終 本丸

今年度から始まった教科担任制は、主に高学年で教科担任制の効果を試すものです。しかし、僕の最終的な狙いはそこにあるわけではありません。僕がなぜ膨大な時間をかけ、本校の独自の教科担任制システムを構築したのかというと、それは学校全体の授業の活力をあげることです。
 
「構造的な板書計画」とか「発表の仕方」など、細かく授業のスタイルを規定すればするほど、子どもは「授業を受ける」というスタイルになっていきます。まるでファミレスのお客さんのように。お店を出るときに大した感動もなく、余韻もありません。何となく空腹が満たされ、何となく味覚が満たされます。
 
こうしたことは、授業の終わりのチャイムの後にはっきりします。1階の廊下にいると、チャイムがなって30秒後には、子どものキンキンした声と、廊下を走る音が響き渡ります。それまで「ぎゅっ」と締め付けていた紐から解き放たれたようにね。そうした声を聞いているだけで、学校でどのよな授業が行われているかよく見えます。
 
この取り組みの本丸は、学校全体の授業の改善です。アクティブラーニングに向けての一歩なのです。どんなに僕が自分のクラスで良い授業をやっても、クラスの中にしか反映されません。しかし、算数を通して感じる子どもの変化は、いずれその担任の先生を授業を変えていきます。なぜなら禁断の果実(授業は自分から関わるとこんなに楽しいだという経験)をかじった子どもは、後には戻らないからです。
 
場合によっては、そのクラスの授業がくすぶる可能性もあります。でもそれが当たり前で、今まで力ずくで、子どものせいにして授業を鍛えてこなかった自分の授業力のなさを再発見することになることでしょう。そこから本当の教師の学びは始まります。
 
僕はここに一つの楔を打ちます。それが「本丸」です。

教科担任制その4

文科省では、633制というしばりを小中・中高一貫校を通して緩めようとしています。僕も改めて小学校の現状を考えた時に、こうした考え方は必要なのではないかと感じます。小学校の高学年ではこれまでお話ししてきたようなデメリットが際立ってきますが、だからといって小学校1年生では絶対に学級担任制でなければ、子どもは安心して成長できないとでしょう。その一つの境界線は小学校の4年生と5年生の間にあると僕は考えます。この時期になると明らかに子どもの成長に変化が起こるからです。そのキーとなるのがメタ認知能力です。自分を客観視できることで学習に取り組む自分を実感しやすくなる時期と言えます。
 
この天から降って湧いた「算数教科担任制」。普通に取り組むには、どう考えても問題・課題が大きいこの取り組み。そして小学校の現状のシステムの限界。マイナス要因とマイナス要因これらを普通にやればどうなるか? 学校がガタガタになってしまいます。子どものための施策が逆に子どもを苦しめていくのでは何にもならないどころか、子どもの成長を阻害さえしてしまうことになりかねません。
 
こんな時こそ僕のイノベーターとしての本領が発揮されます。マイナスとマイナスを足算すれば確かに大きなマイナスになりますが、マイナスとマイナスを掛け合わせれば、打ち消すどころが大きなプラスにさえすることができます。算数教科担任制のデメリット×学校のシステム限界をかけ算行うのです。そこで僕は担任を外れることにしました。僕が外れることで学校全体に大きなメリットが生まれると踏んだからです。
 
例えば、小学校の教材研究の不足は、専科が持つことで解消できます。これまでも専門性の高いと言われる理科は全国で幅広く行われています。でも実は高学年の算数も同様に高い教材研究力が必要とされます。算数はこれまで学級担任が授業を行ってきたことが多いのですが、小学校の多くの人は文系ですから、算数がどのように発展してどうつながっているのか分からないまま授業をしていることが多いのです。そう考えると授業時数も多い(高学年になると毎日1時間)算数を専科授業にするというのは、実は算数を手放す学級担任にもメリットは大きいのです。しかし、算数を手放すことに戸惑いを隠せない教師が多いのも事実です。ですから週に2時間程度はT2として子どもたちと関わる時間を設けます。それをしてでも週に3時間は空き時間ができますし、学期末などの時期には週に5時間の空き時間を作れます。
 
さらに僕はもう一つかけ算を加えました。小学校高学年の仕事量は大きい。そこで算数という時数の多さを通して、高学年に加配人員を作るというものです。これまでですと僕のボジションは「7学年」というものです。つまり「教務」です。僕は「教務兼5・6学年副担任」というポジションを提案し、運営していくことになりました。学年に対する物理的な支援と学年運営にも関わる、5年生にも6年生にも、学年+1という加配で対応することにしました。各種行事、児童会活動でも僕が担任と横並びで子どもと関わる機会が設けられています。もちろん僕の職員室の机は、5・6年生の先生方の隣にひとつずつ確保されています。もちろんそうした動きを低、中学年の先生が不満に持つこともあるでしょうから、補欠の対応もできるかぎり行います。でもそれくらいやっても昨年の仕事量よりも負担は少ないのです。
 
もちろん僕はそれだけじゃ「まだおもしろくない」だから学習センターを設置しました。その話は次回に。