教科担任制 最終 本丸

今年度から始まった教科担任制は、主に高学年で教科担任制の効果を試すものです。しかし、僕の最終的な狙いはそこにあるわけではありません。僕がなぜ膨大な時間をかけ、本校の独自の教科担任制システムを構築したのかというと、それは学校全体の授業の活力をあげることです。
 
「構造的な板書計画」とか「発表の仕方」など、細かく授業のスタイルを規定すればするほど、子どもは「授業を受ける」というスタイルになっていきます。まるでファミレスのお客さんのように。お店を出るときに大した感動もなく、余韻もありません。何となく空腹が満たされ、何となく味覚が満たされます。
 
こうしたことは、授業の終わりのチャイムの後にはっきりします。1階の廊下にいると、チャイムがなって30秒後には、子どものキンキンした声と、廊下を走る音が響き渡ります。それまで「ぎゅっ」と締め付けていた紐から解き放たれたようにね。そうした声を聞いているだけで、学校でどのよな授業が行われているかよく見えます。
 
この取り組みの本丸は、学校全体の授業の改善です。アクティブラーニングに向けての一歩なのです。どんなに僕が自分のクラスで良い授業をやっても、クラスの中にしか反映されません。しかし、算数を通して感じる子どもの変化は、いずれその担任の先生を授業を変えていきます。なぜなら禁断の果実(授業は自分から関わるとこんなに楽しいだという経験)をかじった子どもは、後には戻らないからです。
 
場合によっては、そのクラスの授業がくすぶる可能性もあります。でもそれが当たり前で、今まで力ずくで、子どものせいにして授業を鍛えてこなかった自分の授業力のなさを再発見することになることでしょう。そこから本当の教師の学びは始まります。
 
僕はここに一つの楔を打ちます。それが「本丸」です。