医師と教師

最近、群馬大学を発端とした医療事故が、メディアをにぎわせています。内部の詳しい内容は僕には分かりようがありません。でもこの医療事故は、私たち教師にとって無関係なことでしょうか? 僕には他人事とは思えません。医師は人の命を預かり、教師は人の成長を預かっているのです。今回の医療事故は私たち教師も他山の石として自分を振り返り、より自分を磨き上げていくことにつなげていかなければならないのではないと僕は考えます。
  
僕は多くの子どもを踏み台にして「今」があります。若いころは当然、技術は未熟だし、知識はもっと未熟だし、世の中の流れも分かりません。そんな時代にも、子どもの前で教師として立ち回らなければなりません。それはまるでインターンの医師が患者をあてがわれるように。以前、半年以上慢性蕁麻疹が治らず、どうしようもなく病院の総合科を受けた時に、若いインターンの医師が対応したのですが、「僕もときどき蕁麻疹出るんですよね〜」で診療は終わり、とても腹立たしく感じたのと同時に「こんな若い医師に分かるわけないよな〜」と諦めの気持ちもありました。でもこれは僕の若いころも同じで、教育相談で20代前半の僕に教育の悩みを話したところで、大した答えはできませんでしょうし、保護者もそんな僕に期待もしていなかったことでしょう。
 
でも医師も教師も30代を超えたころから、さまざまな理論を蓄積していき、新しい技術を取り入れて、現場で実践していく段階になります。しかし、これらは患者(子ども)、そして自分、さらに環境に合わせた形でカスタマイズされなければうまく機能しません。それらで成功している人には膨大な実践がともなっていて、そうした細かなノウハウはどんなに説明しても説明しきれるものではないからです。そうなると医師も教師も場合によっては、技術や理論で患者や子どもを振り回してしまうこともあります。また、僕のようなイノベータータイプの教師は、大きな利益を求めるために、かなりリスキーな実践を好みますから、それに子どもが振り回せれてしまうこともあります。こうしたことを防ぐために、強烈な振り返りの力と子どもの看取りの力が必要となります。先の医療事故の件も、状況にフィードバックがしっかりとなされていれば、防げた事例も多かったのではないでしょうか。
 
僕は新しいことを始める際には、何度も何度も入念にシミュレーションします。実際に始める際には、常に子どもをモニタリングして、状況が悪ければすぐに改良を加えます。数ヶ月で効力が出なければバッサリと止めることにしています(幸いシミュレーションをしっかりと行うので、そうしたことはほとんどないのだけれど) でもそれだけ気をつけていても、僕には言えないだけで「そりゃないよなぁ〜」と思っている子どももいるはずです。
 
完璧な医師がいないように、教師もまた完璧な人などおりません。僕は三分の一の子どもは僕に合わせてくれていると考えるようにしています。そう考えることで自分の実践を常に別の目線で監視しているのです。