ルーズ

学級で子どものコントロールがうまくいかない学級担任の先生には様々な共通点があります。
 
 
まず時間にルーズです。
 
空き時間のない小学校の教師にはちょっとした準備やプリントの印刷、ちょっと呼び止められての話など、授業に遅れることはよくあります。その時間、子どもがどんどん学べる環境があればいいのですが、いつまでも廊下で遊んでいたり、教室の中でプロレスまがいのことをやっています。時間にルーズだから子どもが遅れてきても「すみません」と言う言葉がでてきません。
 
次に学習の成果にルーズです。
 
「学び合い」? っぽく授業をしているようですが、子どもは勝手なことをやっています。声を聞けばどれだけルーズな勉強をしているかすぐに分かるのに、見ても聞いてもいません。鈍感なのです。ですから子どもは勉強がなかなか進みません。テストの結果も、作文も、お手紙も、習字も何もかもがルーズです。
 
そして言葉にルーズです。
 
学校で使っていい言葉と悪い言葉があります。それらをルーズにしています。言葉の受け止め方は家庭によってそれぞれ異なります。ルーズな言葉が蔓延すれば、それは次第に子どもも鈍感になります。そしてこれを家庭でも使うようになります。保護者はびっくりまします。
 
 
自戒もこめて書きました。
「学び合い」は決してルーズな学びではありません。それは子どもの目的意識が高いからです。見た目はルーズに見えますが、統制のとれたルーズさなのです。上記のようなクラスでは先日書いた「安易に「学び合い」をしてはいけない」のです。そんなクラスが「学び合い」をすれば、すぐに学級は崩壊します。
「学び合い」を学校での取り組みとしてうちだしている本校でも、それは同じです。そうならないように常にバックアップしているのです。