いちど整理してみて。

学び合いという言葉と出会ってから10年の歳月が流れています。
その間の授業は1万時間近くになります。
「学び合いのとは先生の授業のどこをいうんですか?」
事後研究会で痛烈に批判されてもきました。
 
学びの構造が見えてきたのは
西川先生の「なぜ、理科は難しいといわれるのか」です。
「学び合いとは〜」感覚的にいう先生方が多い中、
「これだ」と直感しました。
 
学び合いの入りとしては「みんなができるようにする」が
私も最適だと思います。
子どもはここで「学び合う」ということがどういうことであるかを
知ることでしょう。友達と「学び合う」ことで、
分からなかったことが分かり、学級みんなでの達成感を
味わうことでしょう。
 
でもそれができる(友達とやっていくことの大切さが分かる)ように
なったのなら、次のステップに移るべきだと思います。
西川先生もおっしゃっていたように、
学年を越えるような「高度な学び」にです。
 
なぜなら、その方が子どもにとって「おもしろい」からです。
その時の子どもたちは「みんなで」なのです。
 
今の自分のクラスはいろいろと課題があり、
まだ「みんなが」の段階です。
でも、2学期は「みんなで」にしてきます。
それはもう子どもが学びに対して自立すべき段階にきているからだと
思っているからです。
 
やりとりを読んで誤解を招く表現等もありましたが、
大事だと持っても一度整理して書いておきます。
西川先生の心配されるように、本質的に子どもに任せられない先生が
「みんなで」を行うとおそらく、子どもは腐っていくと私も思います。