私の見せた「学び合い」とは何か?

1)芦田先生の毎時ごとのリファレンスを明確にした授業とは、西川先生の提唱する「学び合い」の典型的な授業の形態に近いものです。1時間で到達する目標を明確にし、全員の到達を目指すという極めてシンプルで単純な授業です。一斉型の授業では下位の子どもは「どうでもいい」とか「分からなくても黙っているしかない」という授業にしかなりません。それに評価をかけても、到達できない子どもを明確にするだけでそれをフォローすることもままなりません。だから、「家でもっと勉強しろ」だの「塾に行かないとダメ」だのという話になります。

2)私は連続的な学びを維持するために、毎時間ごとの評価の設定を省き、単元での評価を重視しています。指摘された理科の授業では、最初に学習指導要領をもとに、 子どもたちとその単元で何が分かるべきで、どのような道筋で学ぶべきかを20分ほどかけて説明し、子どものまとめの用紙に課題とまとめ方の手順、黒板のホワイドボードには実験の進め方を掲示してあります。この流れで授業が連続的に行われています。ですから部分を切り取ると、何か無目的に学んでいるように見られますし、評価が見えにくいのも当然です。

3)なぜ、毎時間ごとの評価を止めてこうした「学び合い」に移行したか? それは毎時ごとの到達では、ぞれからこぼれてしまう子どもが出てしまうこと。また、「子ども」が毎時間全員の到達を達成しようとすれば、どうしてもできる子どもが何とかしようと変な動きをし始めるからです。「ゆるめる学び合い」は「ルーズにする」と「ぱっと見」には非常に似ていますが、決定的に異なります。「ゆるめる学び合い」により、子どもたちはずっと安定して学び続けられます。芦田氏はこれを「子どもの相対的な関わり合い」で個々の評価が見えにくいと言いますが、確かにその通りです。でも毎時ごとの評価など必要などなく、その単元で何がどうできたか、終わりで判断すればよいということです。私たち(私とfuru-tさん)は「二度目のバンジージャンプ」と呼んでいます。これは単元の流れや構成が分かっていないとできないことです。効力は高い反面、ルーズになってしまう危険もあるのでとても怖い学習でもあります。ただ、こうした「学び合い」を全方位でやっているのは、「学び合い」グループでも本校の教員だけだと認識しています。「学び合い」で誰もがやっている授業ではありません。

4)また、ホワイドボードと「学び合い」のマッチングがよいのが分かります。ホワイドボードの魅力は「すぐ消える」ことです。「すぐ消える」から子どもらは書くことにためらいなく自分の考えを出すことができます。逆に紙に残るものは上位子どもしか書きません。ですから「グループ学習」だと書く人がいつも決まってしまうのです。消えることが前提になっているからこそ、それを再構成して紙に出力できるのです。そのために「オープンクエスチョン」は非常に有効な手段ではあります。オープンクエスチョンを取り入れることで子どもの理解の曖昧さが解消されつつあります。そのために本教室では、壁に掲示してあります。ただ、こうした試みは1か月前からであり、もちろんのこと「学び合い」グループでもそんな実践者はほとんどおられないと思います。 しかし、非常に効果の高いものだと考えています。これからの学習と言えるでしょう。

5)芦田氏のいう「とても容認できない姿」は最近転校して「学び合い」を始めた子どもらです。それでも授業の9割は主体的に学んでいます。保護者と話していて、子どもの急速な成長に驚いています。そして、「家で進んでも自分から勉強するようになった」と言います。とても力のあり、理解力の速い子どもですが、家では「クラスの学習レベルに中々追いついていけない。周りの子の力がすごい。」と言います。もしも、芦田氏のいうような「評価が甘く、いい加減に学習している」ならこんな話にはならないことでしょう。

6)「学び合い」を保護者の方も寛容に見てくれる(毎時間きちんと教えない)のは、子ども学習の向き方が変わるのが見えるからです。家庭での学習の取り組み方、家庭で授業のことを話す時間が変わるからです。最初は保護者も否定的です。そして「うちの子どもには合うかどうか心配」と言います。しかし、それは次第に変わっていきます。

7)芦田氏に西川先生の提唱する基本的な「学び合い」から、少しかけ離れた授業をみせることを大変迷いましたが、お見せすることにしました。西川先生の提唱するそのものの姿を見せた方がよいのではないかとも思いましたが、これまでどんな人に授業を見せてもデメリットになった試しはありません。芦田先生から指摘していただいた話は、子どもたちに全て伝え、要点をまとめて教室に貼ってあります。子どもたちの学習が「甘いな」と思うときには、「芦田先生のアドバイス」をちょっと読んでみて!と話します。

8)これらもちろん私の授業の甘さも同じです。ただこんなものはどんどん改善していけばいい。まさに「食っちゃう」です。指摘していただいた内容はまさに宝、だから「ごちそうさま」なのです。でも、私は「学び合い」でしか子どもは真に救えないと思っています。その話はまたの機会に。