評価をするということ

教育学というのは「純粋な学問」であるべきであり、我々実践家は具体的な状況や状態に合わせてそれらの理論と整合性を取りながら行うものです。
 
例え「学び合い」であろうともすべてにその理論で全てを説明できることはできないものです。同じように、子どもの評価を軸に展開していく授業構成も同じです。
 
年配の教師ならこれまでの行われてきた全国の授業の試みが何度も挫折し、時には腐り、崩壊する流れを見てきたはずです。
 
私も若い頃は「すごいな」「こんな方法もあるのか」と授業を眺めていたのですが、今ではちょいと見ればそれが「張りぼて」なのか、それとも実践に裏付けされたものなのかすぐに見破れるようになってきました。
 
以前よく見かけた「評価を軸においた授業」では、全員の座席表に子どもの到達度やつまずきなどを書き込んで教師があたかも子どもの学習状況を把握していて対応しているように見せかけます。最近ではパソコンでそれらを表にまとめたり分析をかけたりしていますが、基本的には何も変わっていません。
 
こうした評価による児童理解に基にした授業は何度も名前を変えて、数十年続いてきていますがいっこうに広がることはありません。そんなことを実践しているという学校でも、その実践の積み重ねが保存されていることはほとんどなく、その場限りやある教科のある単元に限定されています。もしも本気で毎時間の子どもの評価を分析し、次時の対応策まで考えたら学校からその日のうちにはかえれないことでしょう。(でも実際にはそんな学校も昔はありました)
 
今でも「評価をする=子どもの成績」と考える教師が大多数ですが、評価とは子どもの学びの軌道を修正・補正するものです。では、それはいつやるべきなのかというと「その場で・即時に」が原則です。評価項目に当てはめて分析をかけることも「あってもいい」でしょうが、それよりも授業中に評価をフィードバックした方が早いですよね。
 
「学び合い」だからといって子どもの様子を眺めているよりも、「子どもに学びをリアルタイムで評価して、その場で戻してあげる」方が効力は高いと言えます。
 
今日で1学期のテストは一通り終わりました。これからはそれぞれの知識の穴や誤解を解いていく作業です。さて、これからが本当の算数の「学び合い」が始まります。