郡山で子どもを育てるということ

子どもを郡山で育てるということは、とてもリスクはあります。外のホットスポットではいまだ5μなんてところもあることでしょう。それでも私は息子を郡山で育てるという判断をしました。それは……
 
一つはもちろん安全がある程度確保できるという算段ができたからです。ひょっとするとそれは甘い算段かもしれません。それでも今考えられるあらゆることを考慮して判断しました。
 
ただ自分の実家に戻れば東京都と同じレベルで生活できます。それでも自分の子どもを郡山におく理由は「教育」です。そのリスクを超えるメリットがあると判断しています。モンテッソーリ教育とイエナプランによる幼児教育の成果を見てみたいし、そこに関わっても見たいと考えるからです。残念ながら会津には幼児のためのそうした教育環境がありません。
 
これを決断させたのは本当に些細なことなんです。子どもがプレ・スクールにおいてある大量のシールを紙に貼っていて嫁さんが悪がっていると、
「子どもが飽きるまでやらせてください。それがうちの方針です。」
こんな一言なのです。
  
物事は全て「天秤」です。その人その人の比重の置き方で行動は変わります。お金と安全のように。
 
では我々の授業は子どもを引き留めてまで受けさせるだけの価値があるものでなのでしょうか?
今までよりも何倍も福島県の教師はこの問いの意味を考えることになることでしょう。そしてそれを考えない学校・教師の元からは私は子どもを切り離すことにします。そのための準備はこれから整えていきます。常に安全と教育という天秤が揺れ動きます。
 
もちろんそれは同時に自分の身にも降りかかることです。私は様々な意味で子どもにも厳しい教師でもありたいと思います。