何のため?

最近ブログを書けなかったのは、行事が錯綜していて勤務時間が大幅に長くなっていたためです。
その中でも宿泊学習は最も時間のかかる学校行事でした。今回、宿泊学習を実施して改めて教師として考えなければならないことがたくさんありましたので、ここで整理しておきたいと思います。特に若い先生はよく読んでおくべきです。
 
トラブルを起こさないということ
ある場所で中学2年生くらいの集団が200名ほど集まっていました。多くの観光客がいる中で、「いいか分かっているよな、万引きはするんじぁねーぞ!分かってるか!」と中学教師が怒鳴っていました。「本当に馬鹿な教師だよな」と思いながら通り過ぎたのですが、おそらく日常的にトラブルが多いのでしょうね。
僕はこれまで何度か宿泊学習をしてきましたが、ほとんどトラブルはありません。(もちろん、細かなものはあるけどね) 宿泊学習や修学旅行でトラブルが起こるのは、基本的に教師の問題です。トラブルとは起こるべくして起こるのです。
学校行事というのは、教師が育てたい成長と子どもの意識をどれだけ一致させられるかにかかっています。トラブルが起こるというのはいつか理由があって、子ども同士の関係性の弱さだったり、子どもたち自身がトラブルを回避出来るように育てていなかったりすることにあります。児童や生徒の姿は、実は教師自身の姿のです。僕が見ていた上記の中学生は、体験活動でもふざけた態度で行い、その横にいる教師もそれを放っておきます。そのふざけてできた作品を写真に収めています。その結果が「おまえら、万引きすんじゃねえぞ!」なのです。そうした学校は、グループも男女別です。男女が一緒になると「ろくなことをしない」と考えているからです。観光地の市内では男女別の小学生グループもいました。よほど信用できないのでしょうね。でもその信用でない集団を作っているのは教師自身であることには気がついてないのです。信用されない児童や生徒を作っているのです。
 
学校がやるという意義を考えるということ
最近は自然の家がとても丁寧です。でもそれを僕は決して良いとは思っていません。コンフォートなら家族旅行でいいのです。学校が施設や旅行代理店にお任せする意味って何でしょう?教師が責任を負わないで楽をするだけの話です。最近は何をやっても「アンケート」がついてきますから、それだけ丁寧に(これは意地の悪い言い方をすればどれだけ教師を楽にさせてくれたか)対応してくれたかを評価されるのです。評価されるためには、本来ならその参加校の教師がやるべきことまでやってあげなければなりません。でも、これって子どもにも、教師にも、その成長につながらないのです。以前であれば、教師が宿泊学習をうまく進行出来るように経師自身が研修をしかっりと積んできたものが、今ではそれほどスキルを要求されません。
また、学校の集団でするというのは「非日常」なのです。ですから通常では体験出来ないようなことを体験させる(もう少し詳しく言うならばあえて壁をつくりそれをのりこえさせるような)のが学校の行事なのです。

どこを評価するのか
2日目。野外炊飯では施設の問題もあり、15分ほど予定が遅れました。僕はそれを「チーム力が低いから」と子どもたちに話しました。段取り、心配り、周りを見る力、自分を見つめる力、こうしたことがきちんとできてないから時間が遅れます。僕はそこを指摘します。怒らないでね。でもその子どもたちは3日目の市内巡りでは、16班のどこも到着時刻に遅れることなく、きちんと5分前には集合できました。おかげで、学校到着が20分ほど早くなりました。こうした行事では大抵時間に遅れるのが常です。でも子どもたちは、時間を守って行動出来ました。こうした成長を教師が見取ってあげて、子どもたちにフィードバックしてあげることこそが教師の役割で、それが子どもの心の成長を促します。最後の挨拶で、僕は子どもたちとこうした成長に「みんなの拍手で終わろうよ」と言葉をかけ、柔らかな拍手で締めくくらせました。これこそが教師の役割なんです。叱ってもいいんです。でもその先に子どもの成長を見据えているかどうかなんです。
 
実はまだあるんだけど、今日はここまで!