授業研究

どこの学校でも校内の授業公開、そして授業研究会を開いている思います。
そのゴールとはどこにありますか?
 
ほとんどの学校、教師のゴールは「研究をまとめる」ことにあるのではないでしょうか? その研究の中に子どもの声、姿、思い、願い、そして喜び、希望は込められているでしょうか? 
 
私たちの仕事は子どもの成長にあります。「子どもの成長を促してなんぼ」の世界です。どんなに一発芸のよい授業をやっても、研究がどんなに評価されても、実際の現場で子どもが育っていなければ何にもなりません。
 
授業のほとんどで、自ら考えることを許されず、教師の思ったことを思った通りにやることを求められているかぎり、不幸な子どもが「再生産」されていきます。
 
本校の特設勉強部で子どもが腐らないで学び続けるのは、子どもをそうした縛りから開放しているからなのです。そうした志を持った教師が始めたものなのです。ですから子どもを縛り付けている人が僕の代わりにこのシステムを受け継いでもいずれ形だけになり、長持ちしないことでしょう。
 
授業研究とは実はそうした志を磨く場なのです。方法なんてそれそこ十人十色です。うまくいくとかいかないとかを話し合う場ではなく、授業を通して我々がどんな子どもを育てて行くのかを確かめ合う場なのです。
 
実は6年前に本校に赴任してきたときには、典型的な方法論、そして膨大な手作り問題集まみれの学校でした。僕が来る前の年には、賞までいただいていました。しかし、子どもの学習の荒れは大きく、立て直しが早急に必要でした。
ですから最初に授業研究を変えました。当時の校長からは真っ向否定されましたが、結果的として子どもが意欲的に学び学力がぐんぐん上がってきたことから、最後には「学び合い学習を今後も学校の基盤としていかなければならない」と言葉を残してご退職されました。
 
これらが成功してきた理由は、授業を通して膨大な話し合いを設けてきたことにあります。時には授業後に3時間近く話し合ったこともあります。これが本当の授業研究であり、ここでの話し合いが本校の学びを切り開いてきました。
 
授業研究をやることはとても大事なことです。ですがそのゴールとはどこにあるのか? その授業研究がその学校の子どもたちにフィードバックされているものなのか、私たちは真摯に向き合わなくてはいけないと思います。