見せるということ

私のブログを読んでいる人の中には記事を読んで「なんて高飛車な人なんだろう!」って思う人も多かろうと思います。僕だったら読まないかも知れません(笑)
 
それでも堂々と書くのは、僕はそれを子どもの姿として隠さずに見せてきたからです。言葉ではどんなすごいことでも言えます。でも実際に見せるということは、丸裸にされるのですから大変なことなのです。それでも見せるというというメリットはどこにあるのでしょうか。私は見せることで、見た人とつながり多くの振り返りをいただけることにあります。
 
今日は本当に久しぶりに外部の方に授業ではないのだけど本校の子どもたちの姿を見ていただきました。1年半ぶりだと思います。正確には半年ほど前に市の小教研で放射線の授業を公開しましたが、個人的なつながりの中で見せるというのは上記のとおり、長いことしておりませんでした。
 
今日は友人の先生と校長先生、そして福島大学の教授とその学生で特設勉強部を参観していただきました。
 
僕にとってはこの時間は楽しい時間で、子どもたちのやる気の中にいるとすごく元気が生まれる時間なのです。その分、1時間ほどジョギングをするような、軽く汗ばむくらいの密度で子どもと関わりることになります。ですからその全体像を分析することはなかなか難しいんです。しかし、今日のように参観していただくことで特設勉強部の振り返りを行うことができました。参観後に40分ほど話し合った内容もとても充実した振り返りでした。
 
前にも書いたのですが、この特設勉強部のフォーマットは、全国の学校で使えるもの(使うべきもの)です。でも言葉でいくら説明しても子どもの姿を実際に見ない限り、本質的な部分は見えません。こうしたことはできる限りオープンにすべきですし、本当はどんどん参観に来て欲しい。
 
実はたくさんのそうしたオファーを受けるのですが、学校の事情もあってなかなかお見せすることができずにとても残念です。それでも今日、その突破口を開いて参観くださったみなさまに感謝感謝です。何よりも僕が一番楽しんでいたと思います。