最適な方法などない

今から10年前ヒトゲノム(遺伝情報)が解読されました。たった4つの記号の集合体(ATGC)という組み合わせですが、当時はこれが解読されたことで「人間の全ての性質が解読できる」そんな雰囲気が漂っていました。今ではその解読スピードは数万倍に跳ね上がり、自分のゲノムを解読するのに数十万円あれば解読できるほどになってきています。
 
ところが解読が進むにつれて人間の遺伝子の発現というのはそんなに単純ではないということが分かってきました。例えば、2型の糖尿病の遺伝子は関連する部分が数十カ所もあることが分かってきています。ですから同じ薬を飲んでも効き方も違います。運動しても効果のない人や食事制限をしてもうまくいかない人もいます。同じように、先日裁判の判決が出た肺がんの分子標的薬の「イレッサ」も遺伝子解析をして使える人と使えない人に分かれていますが、効果があるという診断がでているにも関わらず、一定の割合で効果のでない人もいます。これは「人」の遺伝子による極めて複雑な内部の作用によって引き起こされるものです。
 
これは同じように授業に当てはめることができます。私も「最も優れた授業方法は?」というように最近までそれを追い求めていたところがありました。しかし、上記のように何をやっても一定の割合でその授業にマッチングしない子どもは必ず出てきます。これは人間の行動(学習)もまた同じように、極めて複雑な作用で行われているからだと考えています。
 
ですから私は(私たちは)その最適解を追うことを捨て、子どもが学び続けるという持続型の授業をめざすことにしました。この1〜2年で分かったことはごく単純です。実は授業の課題設定とか、学ばせ方とか、シラバスとかそんなものは「どうでもいい」ことで、教師自身が学び続ける姿勢をとることや子どもの成長を願う姿が子どもの学びを持続させのだということです。
  
人の健康とは自分の意思と自分の持っている遺伝的な性質を絡め取りながら進んでいくものです。誰にでも効く薬や健康食品がないように、人の学びもまた王道というものはないのです。しかし、学び続けることによってその「後ろ側に」道は作られていきます。まるで生き方の後ろに健康があるようにね。
 
学びから逃走、離脱することはとても不幸なことです。学び続ける子どもたちをバトンを引き継ぐように学校が子どもの成長を促していかなければならないのです。ある学年、そしてある学級ではそれが「止まってしまう」ということのなように。