学校は学力です

「学校とは勉強することばかりじゃない。もっと大事なこともある。」そんなことをよく言う人がいます。
 
では、それは何でしょう?
 
大抵がはっきりしない言葉、例えば「子どもの心の成長」だとか「大人になるための教育」だとか「友だちとの関わり方を学ぶところ」などと言います。具体的には何をすることでそれが備わるのでしょうか? どこにもそれが書いてありません。
 
そもそも学校に授業以外の時間ってどれだけあるでしょう? 朝と休み時間、そうじ、給食など合わせて2時間ほどでしょうか? その時間の中でどれだけ子どもに効力のある教育実践ができるでしょうか?
 
勉強ばかりすることがかわいそうだとか、学力だけが大事じゃないなんて言葉は、学校とは何か、勉強するということは何か分かっていないと証拠です。確かに学力テストなどは学力の一端を表すものです。しかし、その一端もちゃんと効力が表れていないような授業に他の能力が備わっているかというと、そんはことはありません。
 
子どもは未知のものに対して、教室の仲間とともに解決し、力を備えていく場です。このプロセスの中に脳や心の成長も組み込まれています。つまり学習と心の成長は切り離せないものであり、一体化していくものです。
 
ですから勉強をよく頑張り、力を高めて行ったクラスでは、心や行動の面でもずっと成長の度合いが高いのです。「勉強ばかりが大事じゃない」なんて言っている教師のクラスに限って、子どもの心も行動も荒れているものです。
 
子どもにとって勉強するというのは、苦痛ではありませんし、何よりも子ども自身が最も望んでいることは「頭がよくなる」ということです。勉強するというプロセスの中で周りの子どもたちとの関わり方も柔軟性を増し、そして人と関わることで初めて生まれる新しい知の世界があるのです。
 
だから「学校」なのであり、我々教師はそうした知の世界のプロフェッショナルでなければならないのです。そして「学校」とは知の世界に導く、非日常的な場所なのです。
 
追記
「うちのクラスは子どもの能力(知能)が低い子どもばかりで学力が低いです」ということも確かにあることでしょう。一律に平均値が大事だとは言いません。そうなのであればクラスの子どもたちがどれだけ「オーバーアチーバー」かを確かめるとよいと思います。