「学び続けること」と「結果を出す」ということ

誰だって子どもが学び続けて欲しいと思っています。今がんばって勉強している子どもたちも担任から外れたときに同じように学び続けられるかというと自信はありません。学校全体が子どもを育てる体勢にならない限り、子ども自らがが学び続けるということは難しいと言えます。
 
では、今の学校をそうすることができるでしょうか? 難しいですよね。学校には様々な考え方の先生がおります。「子どもは未熟なのだから一つ一つ丁寧にしっかりと教えてあげなければならない」という考え方が大多数ですし、「子どもを可愛がりたい」と思う教師が大多数です。
 
我々の戦略はマイノリティーな取り組みをマジョリティーにしていくことなんです。我々は言い換えれば今はオセロ版でほとんどが「黒」の中にある2,3枚の「白」に過ぎないんです。でも今の「いじめ」や「体罰」問題が上がってくるのは、これまでの指導感や授業形態が限界に近づいてきて、そろそろ次のステップを探しているということなのです。ですから、自ずとオセロの白はどんどん黒をひっくり返していくことになります。
 
しかし、私たちは「孤独」です。周りはみんな黒なのですから。それでも改革していかなければならない。でも声だけでは届きません。私たちが結果を出さない限り、出し続けない限り、誰もそれを振り向いてはくれないのです。時に一つでもうまくいかなければ「やっぱり!」と陰口をたたかれるのなんて当たり前のことだと思っています。
 
でも、子どもの姿と結果は正直です。この一点さえ揺るがなければ誰に何を言われても私は平気です。
 
 
追記
「子どもを可愛がりたい」のがなぜいけないのかというと、可愛がりたいというのは、逆に思い通りにならないと子どもが「嫌い」になるという反作用が働きます。「子どもを可愛がる」教師のクラスは荒れていくことが多いと思っています。教師の役割は子どもを可愛がるのでなくて、子どもの成長を促すことです。