好き勝手は自由ではない

二人の書き込みについて私からも。
 
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/nao_taka/20121223/1356218480
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20121222
 
子どもたちの主体性というものはとても大事にされなくてはなりませんし、それを育てていくもの私たち教師の仕事です。でも好き勝手をすることを私は主体性とは言いません。
 
「子どもが自由に学ぶ」ということは、現行の学習指導要領には規定されていません。例えば「総合的な学習の時間」でもテーマは設定されていて、目的が明確である中で「自ら」です。これは世界中どこでも同じです。
 
ですから例え係活動でも「好き勝手」は私のクラスにはありません。係活動では「クラスの幸せ・楽しさを創ること」という明確な目的があって、そのためのプロセスを子どもたちに任せているということで、何をやってもいいということではありません。「自分が」好き勝手なことをしたければ、休み時間にやればいいんですから。だから子どもたちがやっている「今」は何につながっているのかを常に子どもたちに問います。
 
これは勉強も同じです。何でも好きなことを学べばよいのであれば、何も学校でやる必要はないのです。そんなこと土曜日や日曜日に好きにやればいい。私たち教師の役割とは方向性を示して、子どもたちをそこに導くことです。そのための「プロセス」は無数にありますからそこを任せるということはあります。
 
例えば「物語を書く」ということは「好き勝手に書いていい」となれば、子どもたちはおもしろがってたくさん書きます。でも好き勝手には「次」がないのです。その学習は次のどの学習につながっていくのかを明確にもっていない教師がそんな授業をやっても効果は上がらないのです。子どもたちは「おもしろい」と始めは言うけど、そんなものすぐに飽きていきます。だって「次」がないのですから。そして自分の力が伸びていることを実感できないのですから。
 
今、私たちはこうしたプロセスを統合し授業の中でで積み重ねていく授業づくりを始めています。これを私たちは「織る」「紡ぐ」という言葉で表現しています。(近いうちにもっと詳しく説明します)
 
私たちは「学ばせる」ということと「主体的に学ぶ」ということは矛盾するというものではなくて、学ばせることの中にこそ主体性があり、主体性の中にも規定があると考えています。
 
「学び」というものは連続性の中で高まっていくのです。