降り積もる学び

今日はもう一つ。「降り積もる学び」
 
この言葉は以前勤めていた学校でよく校長が口にしていた言葉です。学びの共同体で大事にされていた言葉ですが、当時は何をどうすれば降り積もらせることができるのか分かりませんでした。
 
今になってようやく分かってきました。
単純に言うと目標となる子どもの姿をめざしながら毎日毎日の学習のベクトルを合わせていくことなんですね。これらが矛盾せずに行えるときに初めて学びというのは上に積み上がっていきます。ですからテクニックの集合体にはこの降り積もりは起こりません。味のまずいミックスジュースのようなものです。
 
ですから毎日の国語も算数も体育も図工も全てが同じ学びのベクトルを持ち、そして宿題も授業と一体になったものでなければならないと考えています。家での学びが次の日の授業の下地になる。そして授業が宿題の下地になる。そんなイメージです。
 
その学校の谷川俊太郎作詞の「讃歌」は
「きのうがきょうにいきている。きょうがあしたをつくっている。かぎりないときのながれのなかで、ちからいっぱいまなぶまいにち〜」と歌います。私も大好きな歌ですが、まさに降り積もる学びなのですね。