誰でもうまくいく方法

なんてあるわけ無いでしょ! という話です。すんません。
 
誰もがすぐに優れた教師になんてなれるはずがありません。でもこうすればより簡単に、より早い期間で教師としての力量があがるのではないかとずっと思ってきましたし、そのためにはどうすればよいのかを考えてきました。でも人って難しいもので自分のことが一番分からないんですね。自分がなぜうまくいっているのかを体系化するのって実はものすごく難しいんです。ですから「必ずうまくいく」とか「誰にでもできる」とうたぐいの本はちっとも関心がありません。簡単なんです。そうした本を書く人はそうした本が書けるからうまくいっているんですもの。
 
うまくいく人は褒めても叱ってもうまくいきます。授業も上手です。逆にうまくいかない人は褒めても叱ってもうまくいきませんし、授業も下手なんです。
 
例えば今注目されている「ほめる」です。でもみんな子どもたちをほめればうまくいくと思いますか? 私は下手にほめると学級がもっと荒れると思います。ほめるのが上手な先生の授業の様子をプレイバックしてみてください。顔が笑っていません。非常に冷静で、分析的です。子どもの状況そして子どもの心の変化をリアルタイムで捉えながら、どのタイイングでどのような言葉をかけていくか計算しています。
 
一方、そんなことをお構いなしにほめるといわゆる「すべり」ます。高学年の子どもなんてそんなの直感的に感じとりますから「うそくせ!」って心で思うことでしょう。子どもだって本気でほめているか建前でほめているかくらい気がつきます。ですから下手にほめることでもっと信頼を失うことにもなります。そして恐ろしいことに、子どもが子どもをほめることも同じことが起こります。
 
私はほめるからクラスがよくなっていくのではなくて、よくなってきているから本気で本気でほめることができるようになっているのだと感じます。(あくまで「私は」ですが)
 
じゃあ、何がマックスファクターなのかというと、私は子どもの前に立つ「教師」という人間像そのものだと思います。テクニックとか指導力とかそんなものは実はたいした要因ではないと考えます、子どもが「この先生にだったらついて行く」とか「この先生だったら話を聞きたい」だとか「この先生の言うとおりにすれば自分は伸びることができる!」とかそういった感じ取らせられるかなのだと思います。
 
「じゃあ、どうすればそんなもの身につくの?」
「どうせ私にはそんなの無理です」
 
そういわれる人もいるかもしれませんよね。でもそんなことをいう人はいつまでも成長しません。だって上のような教師の姿って教師として悩んできた積み重ねであり、子どもたちに、そして学習に真摯に向き合ってきた経験からなのですから。そしてどんなに若い先生でもそうしたものを積み上げていれば、積み上げようと努力していけば必ず教師として、人間としての位置づけが変わってきます。
 
それでも一つ大切なヒントと言えるものがあります。それはごく基本的なことで「対話」です。教師の力って対話の時間に比例していくと言っても過言ではないと思います。(ちなみに世間話を対話とはいいません)対話できる同僚・仲間がいるということがその教師の力を高めてくれます。若い先生はどうぞ力のある先生との対話を大事にしてください。そして対話を求めて自ら動いてみてください。それが教師の道の神髄だと私は思います。