満足するということ

私は中学生くらいから高校生ぐらいまで蓄膿症に悩まされていて、においがよく分からなかった時があります。その代わりにそれを補うように味覚が敏感になりました。今でも好き嫌いがないのはもちろんのこと、あらゆる食べ物に対して味覚には敏感に働きます。
 
「生きる」という目的だけであれば、缶詰のフルーツでも、レトルトパックのカレーでも、ファミレスの食事でも人は食べ続けることができます。でもより「上質」であろうとすれば、その素材や味付け、温度、器にもこだわることでしょう。(もちろん缶詰のフルーツも、レトルトも、ファミレスもそこそこはおいしいですけどね)
 
上質であるためには2つのことが大事で、その一つは「こだわる」ということです。そしてもう一つは「比べる力」です。そのどちらが欠けていて上質であることに近づけないと考えています。
 
今、自分のクラスではその「満足する」ということについて子どもたちと格闘しています。例えば今は、市内の子ども美術展に出品する作品作りをしていますが、そのゴールを「自分が満足できる」ということにおいています。すると小学3年生のことですから、ろくに色も塗らないまま「満足したので終わりです」と持ってくる子どももいます。
 
「満足できた?」
「はい。」
 
そんな子どもには「では、○○さんの作品を見て自分の作品ってどう思う?」
 
「・・・。まだまだです。」
「今、満足できている?」
「いや、ダメです。」
「だったらもっと自分の作品に『こだわって』ごらん。」
 
こんなやりとりをよくします。私たちの仕事は子どもたちの満足のレベルを引き上げる仕事、つまりより上質なものへと導く仕事なのだと理解しています。それは算数でも、国語でも。算数ではより高度で難関の世界へと、そして国語ではより深く、表現豊かな世界へと。
 
上のようにまだ育っていない子どもは「満足」のレベルが低いのです。そのためにはもっと上質の世界を見せてあげることも、そしてこだわるということを大切にしていくことも大事なのです。自分の成長の見えるような「満足」、それこそが今うちのクラスで取り組んでいることなのです。
 
追記
結婚相手を選ぶときにはこの「味覚」ってすごく大事です。だって料理は毎日毎日のことですから、それが「合わない」って大変なことですよね。私が恵まれているのは嫁さんと味覚が「どんぴしゃ」なところです。おのろけでした!