幸せ

「私たち教師の仕事は子どもを幸せにしていくことにつながっている」
そのことを誰も否定する人はいないことでしょう。
 
では私たち教師は幸せでしょうか?
 
もしも「幸せです」と言えないのだとしたら、それは大変不幸なことです。私たち教師は子どもたち以前に自分自身が幸せだと言えるような仕事をしていかなければならないと思っています。
 
もちろん、私たちは人生の中で避けられない多くの不幸を背負っていくことになります。これは年を取れば取るほど背負う不幸も多くなっていくことでしょう。でもそうした「避けられない不幸」とは別に、私たちは毎日の生活で幸せになるための積み重ねをしています。幸せというのは、訪れるものではなく作り上げていくものなのです。
 
 

小学校だと担任ベースで8割近くの教師が女性です。多くの方が家庭を持ち、子どもを育てながら仕事をしています。しかし、内部は完全に男社会の職場です。場合によっては気軽に年休を取れない環境であったり、自分の子どもを放り投げてでも仕事をしなければならなかったりします。しかも最近では新たな仕事も積み重なり、さらに保護者との対応、評価制度、管理体制など負荷のかかることがどんどん増えてきます。
 
今教育はクリエイティブな仕事環境ではなく、消費型・管理型の仕事へとどんどん変化してきています。これはそうした基盤を作っている男社会がまずいのだと考えます。
 
夜や土日にも自分の家族を犠牲にしながら(家事のほとんどを女性に押しつけながら)、何かを成し遂げてきた人が「あなたもそうするべきだ」と言っても、そんなこと家庭を持っている女性ができるはずなどないのです。もちろんそれは男性でもね。
 
私は教師だからこそ、5時には家に帰るような仕事をしなければならないと思います。それはがんばって効率よく仕事をするというもののではなく、仕事そのものの「量」を減らすという方向で。夜、家族一緒に夕ご飯も一緒に取らない教師が、子どもに「幸せとは?」と言えるはずもないのですから。
 
日本の社会は人の持つエネルギーを消費していく社会になってきています。どんどん給与は下がり、反比例するようにやることは増えていきています。これは仕事の「ダンピング」なのです。子どもの前に立つ教師自身が心が消費し、疲れている状況で子どもに幸せを語ることは難しいことでしょう。
 
仕事をすることで心に活力が沸く、心が温まる、そして心が充填されるような社会であり、学校でなければならないと考えます。今の外食チェーンのような「指摘されない」ことに心血を注ぐようなものではなく、その料理を食べることで、そのお店に行くことで心が豊かになるようなお店にならなければならないと思います。
 
そのために私たち自身が家庭を心底大事にできるような、「仕事よりも家庭が大事に決まっているでしょ!」と大きな声で言えるような社会にしていかなければならないですよね。