最大公約数

最近の教育はサービス産業化していると言えます。ファストフードのようなものです。一律どこでも同じ方法、同じ内容、同じ進め方、同じ学力向上…。公的な教育としてそれは確かに理想ですよね。でも本当にその理想は正しいと言えるでしょうか?
 
複数の教室で「同じサービスをする」という時には、たいてい最小公倍数をとることになります。それぞれの個性や持ち味を押し殺して、同じことをするのですもの。それは教室の数が多ければ多いほどそうしたことが起こります。しかし、その代わりにどこでも「同じもの」を提供されるので特定の学級が批判にさらされることはなくなります。つまりファストフードのようなものです。味は最低限保証されていて、どこでも同じ味。
 
でもみなさんは「毎日」それを食べたいと思いますか?
 
私は教師はより個性を発揮していった方が良いと思っています。「そうなれば、学校がバラバラになってしまったり、特定のカリスマ的教師が賞賛されたりするんじゃない?」そんな心配がされるかもしれませんね。しかし、そんなものは本当に機能的に動いている学校であれば起こりません。
 
「機能的に動いている」というのは共通の目標、学校としてのビジョンを共有しているということです。その到着点が見えていれば、それぞれの教師はそこに向かって「自由」に取り組むべきですし、または教師の中でどうすればそれが可能になるのか討論が巻き起こるでしょう。
 
多くの学校でそうならないのは、具体的に目標が見えていないことと、そのためにどんな教育・授業・行事・特別活動などをしていくべきか話し合いが日常的に行われていない、行うような仕組みになっていないからです。逆にそれができれば学校は一気に活気づきますし、これぞれの教師の良さが保護者にも伝わるような実践が起こってきます。
 
「批判されないこと」が今の学校の重しになっているのではないでしょうか? 「賞賛される学校」「信頼される学校」にシフトしていくためには、最大公約数ではなく、最小公倍数にするべきです。