発達段階?

以前、芦田先生に簡単に[大事なこと]言うな!って指摘されましたがこれも大事だと思いますので。
 
小学校の6年間は子どもの肉体的、能力的、脳力的な発達が著しいのでよく「発達段階に応じて」という言葉をよく使います。私も「ピアジェ」のように確かに能力的な発達の段階の壁というものを感じます。しかし、多くの場合それは決してポジティブな場合に使っているのではなく、どちらかというとネガティブなことに使われることが多いのです。
 
「1年生だから話を聞くことで精一杯です。」
「2年生だから話し合うなんてできません!」
「3年生だから話し合ってまとめるなんてできません。」
「4年生だから」
「5年生だから」
「小学生だから」
 
私からすれば、話し合いなんて幼児でもできるわけで、授業以外では子どもと対話していますよね? 対話とは聞くと話すが両方成立しているはずです。でも不思議なことに授業だと「聞くこと」しか成立しないのはなぜでしょう? おそらく今、世界中の教師にこんな話をしたら「日本の教育は大丈夫かい?」と深刻に心配されることでしょうね。
 
子どもが学び合っている先生方と共通理解できていることは、「発達段階で制限される学びなどない」ということです。ある先生は「もちろん、あり方は学年で違うけど、学年による制限なんてしていたら子どもは学ばなくなるね」と言います。私もその通りだと思います。
 
「講師だからこの程度できればいい」
「1年目だからこのくらいできればいい」
「5年目だから」
「10年目だから」
「田舎の教師だから」
「女性教師だから」
「男性教師だから」
「普通の学校だから(これもよく聞きますよね?)」
 
これらと何ら変わりはありません。上記のものは発達段階による手立てでなどではなくて、できないことを正当化するための「いいわけ」なのです。
 
私は分かろうともしない人にはニッコリ笑って「なるほどね〜」と言うだけです。私は分かりたいと思う人には力一杯説明するし、授業も見せますし、そういう人を支援していきます。そして私にとって一番大事なのは、子どもをきっちりと成長させることで自分の言葉に矛盾のないことを証明することなのです。
 
うちのクラスの子どもたちに能力的な壁はあっても、学習の方法には一切壁はありません。でもちゃんと伸びています。