きちんと教えればいいってもんじゃない

若い先生へ。
 
「学び合い」が心理主義とよく批判されますが、私は非常に戦略性に優れた学習だと思います。
 
うちのクラスだと「勉強する」ことはごく当たり前なことであって別に感動することでもありません。しかし、多くの授業がカリキュラム主義、シラバス主義、感動主義の授業に走っていて、指導と学習が一体化せず児童生徒を取り残したものであったり、児童生徒が死んだ魚の目で授業をしていたり、薄っぺらな感動で薄っぺらな思考を強要されたりするものです。
 
シラバス」も、もともとは学生が「講義を自由に選べる」ことが前提となっているものであり、教育の目標や学習の目標が統一されている授業では、ただの「授業案」に過ぎません。
 
授業案を「シラバス」なんていうと、とても賢い子どもを育てられるような印象を持ちますが、そんな言葉の書いてある授業を観て「一度も」まともな授業を観たことがありません。
 
2学期改めて子どもを観ると、本当によく学んでいると感じます。きちんと学べるから、どんなカリキュラムでも、評価でも設定できるのです。学び合いは「まず授業はここからなのだ」ということを子どもの姿が教えてくれます。
 
私は、多くの教師がまずは「学び合い」から入り「子どもが学ぶということはどういうことなのか」この感触を得た上で、教材を深め、カリキュラムを構成し、評価を設定していくべきだと考えます。だから「学び合い」
は難しく悩むのです。でもこの悩みはごく正当な悩みであり、その悩みは必ず未来を切り開きます。
  
多くの教師がこの逆の順番でなんとかしようとするからおかしくなるのです。