「学び合い」のステップ3

私とfuru-tさんは「学び合い」の段階を3つに分けて考えています。
 
ステップ1「学び合い」の成立
 
これは比較的簡単です。だって子どもは人とつながることでこれまで教師の目を気にしていたことから解放されるからです。ですから「何もしなければ」子どもはどんどん勝手に学びます。
でも、これがなければ教師の目を伺ってびくびくする子どもや授業に飽き飽きしている子どもや嫌気をさして逃げていく子どもを救うことはできません。
 
「まずは全員を授業という舞台に乗せる」
 
我々が胸を張って誇れる部分です。日本中のどんな教師にも誇れる部分だと思います。
 
ステップ2「捨てる」
 
多くの教師は「学び合い」を方法として使います。なぜそうなるか? それはまだ自分が指導した方が効力が上がると考えているからです。ですから 
 
「この教科は向いているけど、この教科は向いていない」
「この単元ではうまくいくけど、あの単元ではうまくいかない」
「課題設定がちゃんとしないと「学び合い」はうまくいかない」
 
こんな話が出てきます。課題設定にしてもそんなもの研究しても共有化などできません。そんなものtossと同じです。こうすればうまくいく課題なんて実はないのです。自分のいろいろグダグダしたものを捨てるのは実は大変難しいのです。私はとても時間がかかりました。経験の多い先生ほどそれを捨て去るのは非常に難しい。でもステップ3に移行するには絶対に必要なことです。でもどうやって捨てるべきかを明文化するのはとても難しいと感じます。でも「変なもの」は捨てるべきです。
 
ステップ3「加える」
 
捨てた上で加えるです。「じゃあ、最初から捨てなきゃいいじゃんか?」と突っ込みを入れられそうですが、そうではありません。捨てることで子どもにとって純粋に何が必要か見極められるようになるということです。これこそが「専門性」の発揮のしどころだと思います。それぞれの教師の持つ経験や専門性が生きることでしょう。
私は理系です。だから自分のクラスの一部の子どもの知識はすでに中学生を越えています。越えるための仕掛けも作ります。一度捨てれば様々なものを付け加えても、矛盾はしません。それらが複合的に効力を発揮し始めます。
 
 
今、ステップ3の状態です。兄・弟と担任してきた保護者からは、「前とは少しずつ違いますよね」と先日言われました。このステップ3の移行したときに初めて、「学び合い」でなければ到達できない結果や姿が導き出されることでしょう。現クラスを持ち上がったら、そんな筋肉質のクラスにしていきたいと考えます。
 
今? まだちょっとメタボ(笑)