反論の反論4

16)1対n個の問題と「学び合い」はニワトリが先か卵が先かのようなものである。現状の授業で、「授業に参加できていない」児童・生徒は何万人いるだろうか? それをきめ細かなリファレンスで参加させられるなら、「学び合い」などいらない。
 
17)「学び合い」は決して楽な授業ではない。非常に高度な見極めも必要とされるから。しかし「全員を参加させる」という授業の成立の壁は低い。学校の授業とはここから始まるべきなのであり、どんなにリファレンスと叫ぼうとも、児童も生徒も見向きもしなければ何にもならない。
 
18)私は、「ちょっと集まって」とそのつどクラス内の分散した生徒を一時的に集めることがある。これは次の課題に移行する、または課題のブレの修正や、分散している考えを整理するためであり、よく見れば分かるが一斉授業の場ではない。そしてリファレンスでもない。
 
19)リファレンス主義の授業では、課題がぶれたまま最後まで教師の力業(悲惨な)で押し切る授業が多い。そして授業では児童や生徒の取り組み方など無視して、辻褄を合わせた「結果」のみを語る。
 
20)芦田氏はこれを<思いつきのトークに留まっている>というが、最初から決められているなら最初に伝えて集めなどしない。45分間で刻々と変わる状況を見極めてのブレの修正や整理なのだ。