予告第2弾

震災前、僕の授業を参観に来たある大学教授に徹底的な批判を受けました。最初は僕もムキになって反論していたのですが、彼が「『ではどうそ!』で子どもが学ぶようにならば教師なんていらない。そこらのおっちゃんでもいいはずだ。」という話を聞いて「ああ、この方は授業の本質的なことはよく知らないのだな」と思って、そこで反論するのが馬鹿らしくなってやめました。
その一方で学びの共同体や『学び合い』に対する批判には「ごもっとも」と思うところが多々あったことも事実です。中でも授業の課題は共同学習における研究が最も弱いところです。これは学びの共同体でも同じです。学びの共同体の研究校時代、僕と同僚(今でも尊敬しているすごい実践家ですが)とで授業公開の3分前まで「本時のめあて」を悩んでいたことがあります。共同学習では学習のめあてが授業の「肝」となります。そして、共同学習をする者なら誰でもその難しさを実感していることでしょう。また『学び合い』における「教科書の〜ページのことが分かる」という課題は、確かに20代前半の教師の実力なら良いかもしれませんが、30代以上の教師が示すレベルではありません。
では共同学習を進めていく上で、我々はこの「学習課題」をどのように設定していけばよいのでしょうか? みゆき会の授業実践は、共同学習が目指していくべき一つの道筋を照らしていくこととなるでしょう。僕らの授業に一つ一つの課題はありません。より大きな視野と成長を見越した授業を「連続的に」行っているからなのです。