積分する学び

子どもは自分の現在地が分かりません。上りなのか下りなのか、その坂がどれほどのものなのか。我々大人はこれまでの経験があるゆえに比べることができますが、子どもにはその比較すべき経験がないのです。
 
面白い授業は「点」として子どもの意欲を引き出しますし、よい思い出(経験)となることでしょう。でもこうした点は子どもの成長には直接はつながりません。子どもをいじって笑わせたり、冗談を言って笑わせたり、また面白い教材を準備したり、仕掛けを準備したり。子どもは確かに興味が惹かれ、楽しい、ワクワクする雰囲気の中で学びますが、そうした環境がなくなったとたん「つまらない」「おもしろくない」といった気分になっていくだけなのです。
 
よく名前をお聞きするような有名な教師は、その方法が優れているのではなく、それを徹底してやることが優れているのです。ですから他の人が方法をトレースしてもうまくいかないのです。こうした徹底の中で育った子どもは、積み重なった自分の成長を見出します。その重さ、厚み、自信として。そうした自分の変化を実感できたときに初めて、子どもの学びは持続的になります。
 
ですから子どもが持続的に学ぶ集団を作っていくためには、それ相当の積み重ねが必要なのです。教育は積分なのです。しかし、紹介される多くの実践、書物は微分なのです。その瞬間を切りとるだけだったら、どのようにでも美化できますが、積分はまさしく量なので、ごまかしはきかないのです。

僕のクラスもまもなく1年が過ぎようとしています。子どもの学びが積分され、自分の成長を感じ取れる量になってきました。