1%のお馬鹿

僕のやっている実践を多くの人に分かってもらう必要を僕は考えません。分かりたい人だけ分かればいい、そう、1%の人が教師が分かればいいんです。
 
分からないという人に僕は分かってもらおうとは思いません。分からない人を説き伏せるとか、分からない人が分かるまで何度も説明するとか、そんなことに力を入れるのは馬鹿らしいと思うようになりました。でも決して、僕が高飛車でこのように考えている訳ではなく、自分の力の限界が見えているから「無駄なことはしたくない」と思うのです。
 
僕は自分の教師人生をただ楽しみたい。子どもを成長させるという形でね。だからこそ、極めて自由で、アクティブで、誰に気を使うこともなく、自分の思うがままでありたい。そんな僕の実践のいくつかで共に共感出来るような人がいればいい。僕は教師の1%くらいに、そうした人がいるんじゃないかと思っています。
 
でもそのたった1%の教師が日本の教育を変えて行く、大きな原動力になることも予想しています。きっと僕の時代ではそうした変化を作るのは無理だと思うのだけど、こうしたマイノリティーの教師たちが、必ず大きな潮流を作り出して行くことでしょう。でもそれはひょっとすると半世紀後かもしれません。でも、だからこそ今が大事で、人の無意識の中にとけ込ませていくような、実践を続けて行かなければならないのです。
 
みゆき会のなおたかさんの口癖は「簡単に分かってたまるか!」ですが、僕もそう思います。自分緒実践を全部削ぎ落として「0」にできるような人(人はそれをお馬鹿という)でないと、僕らが何やっているのか分からないと思います。
 
1%枠は本当の「お馬鹿」かもしれません。でも、その代わりにめちゃめちゃ面白い世界が繰り広げられています。