遠くを見ること

僕がずっと若い頃苦しんでいたのは、この毎日が何につながるのかよく見えなかったことです。若い頃は視界が自分の周り数メートル程度ですから、遠くには何があるのか、ぼんやりとしか見えません。近視のようなものです。
 
最近は、これが逆転しています。遠視のようなもので近くはよく見えないのですが、遠くはよく見えます。正確にいうと、近くがよく見えないというよりも「見なくても気にならない」と言った方がよいでしょうか。だから、子どもの成長のついても長期的なビジョンで、言葉をかけることができるようになってきました。子どものトラブルも「まあ、成長の途中にそんなこともあるわよね」って思えるようになってきました。
 
毎日の実践は、一枚ずつ重ねて行くものです。でもその重ねた先が見えないと、若い教師に取って、どれだけ積み上げればいいのか、積み上げたら何が見えるのか、不安になるものです。中にはそうした不安を超えられないまま、教職の道を離れてしまう人もいることでしょう。
 
そうした時に大事なのは、先の見える人に話を聞くのではなく、同世代の人とよく語ることです。確かに先人の話は、魅力的で、話を聞くことで自分の道が開けてくるように感じることでしょう。それはもちろん大事なことなのですが、日常的に、そして自分の気持ちに降りて話をしてくれるわけではありません。でも同じような悩みや考えを持つ同僚は、いつでも同じような課題を持っているのですから、自分の身に寄り添った話ができます。
 
若い教師とって今の時代は苦しいだけではなく、チャンスでもあります。首都圏では若い先生方が多いですし、ネットが発展し、SNSで全国の先生と簡単につながることのできる時代になりました。僕はこうしたネットワークが教育改革の一つの兆しだと考えています。