テストで100点とることの危険

学期末の時期になりました。テストの集計がどんどん上がってきています。僕のクラス、単元テストはそれほどよい訳ではありません。そして単元テストで100点とることを求めていません。その危険性も十分に知っているからです。
 
テストで「平均点が100点に近い」なんてクラスの話を聞きます。厳しいことをいうと、ほとんど意味ありません。『学び合い』の時にも僕は何度か批判してきたのですが「みんなで100点を目指す」授業は、とても質の低い授業なのです。なぜ質の低い授業なのか今回はお話しします。
 
子どもが単元テストで「100点をとれるようにする」そのために、教師であるあなたは何をしますか? 考えてみてください。子どもベースで学び合わせる、分からない子どもに教える、子どもに装う問題を作らせる、宿題で繰り返す…いろいろあることでしょう。でもこれって逆算の考え方ですよね。100点をとらせるためにどうすればいいか? なのですから。
 
でも子どもベースで授業を展開して行くと、実はテストで100点をとることが難しくなります。例えば、5年生の理科「植物の発芽」温度の条件設定で、子どもから「温度が低くても、高くてもだめなんだないか調べてみたい」という考えが出てきた場合、その子どもたちに合わせて実験をします。教科書では「温度が低い」という条件のみで実験をしますが、そこに「高い」という条件を加えることになります。そうすると、テストには「ノイズ」が混じることになります。そうると、迷わなくていい場面で、迷うことが出てきます。
 
また、小数のかけ算とわり算、それぞれをテストすれば子どもの得点は高くなります。でも、この2つをいっぺんにテストするとどうなるでしょう? 子どもはわり算なのかかけ算なのか、混乱します。ですから本来、かけ算にするような計算をわり算にしてしまったり、計算で小数の位置取りを間違えることも多くなります。
 
このように多様に授業をやったり、テストの時期をずらしたりすると、とたんにテストの成績は悪くなります。もし、子どもたちのテストの結果が平均が100点に近いとしたら、それはひょっとすると授業の質がとても低いのかもしれません。理科社会の単元テストのレベルでしたら、教科書をよく音読したり、グラフの読み方を訓練したりすれば、たちまち得点は上がります。でも、それって、理科や社会の学習と言えるでしょうか? 学習とは様々な知識理解をカテゴライスし、関連づけていくことのはずです。この知識理解を絞り込めば、当然テストの得点は高くなるのです。
 
僕の授業はとても「ノイズ」が多いです。だから子どものテストの答えも、その勘違いがよく見えます。僕はテストが単元の学習のゴールではなく、学習内容を再度、整理するためのものと割り切っています(もちろん成績にもいれるけど、それは観点別の知識領域にすぎません)
 
さまざまに習得したない内容は、一度のレポートやテストで整理しきれるものではありません。ですから、何度も何度も振り返り、整頓し直しながら、繰り返して行きます。これが僕の授業です。
 
もちろん、この世界には超人的な先生もいて、多様な授業を行っていても子どものテストが100点近くなる人もいることでしょう。でも、そんなひと1万人に1人くらいしかいないでしょうか。
少なくとも僕の能力では無理です。