教師の多忙化

中学校の教師の勤務時間が先進国で最大になっていることが報道されています。
また、肯定感が低い(日本人は成果を控えめに言うことをさておいても)ことも話題になっています。

郡山市では小学校も部活動が盛んですから、授業が終わると教師はすぐに部活を始め、子どもの安全を確認して、職員室に戻ると、退勤時間です。その間の休憩休息時間も実質とれません。そこから公務分掌を始めると、軽く2時間程度、勤務時間がオーバーします。
  
僕が最も問題だと思うのは、中学校でも、小学校でも、部活動>公務分掌>授業 という構図になっていることです。ですから、どこの学校でも研究テーマを設けて授業の改善に取り組んでいるものの、どこの学校でも「めんどう」な「仕事」に成り下がっています。せいぜい、年に1度指導案を書いて、ひっそりと授業実践して、まとめを書くことが、「研究校」ではない、通常の学校の「授業研究」のレベルです。
 
でも、こうした多忙化は実は教師自身が引き起こしているとも言えます。
 
教師の中にはどうしても部活動がしたくて仕方がない人もいます。「自分の成長の糧となった部活動を子どもたちにも味わわせてあげたい」そういう思いもあるのでしょう。でもそういう人は、「学校」という枠ではなく、地域や市町村という枠組みで、小学生、中学生の分け隔てなく、社会活動として活躍してく方がより自分の理念を達成出来ることでしょう。
 
また、部活動の人間関係性を用いて授業をコントロールしようとする教師もおります。これ自体が悪いことではないのですが、もし部活動をしていないとして自分の授業で児童生徒を引きつけ、意欲的に学ばせる力が自分にはあるのか、内省が必要ではないでしょうか。部活動をえさに授業をコントロルするというのは、授業力が低いと言わざるを得ません。
 
ただ、これは教師の世界だけではなく、医療、福祉、アパレル、ファストフードなど直接顧客と接するような現場では、どこも同じような状況にあります。現代社会はこうした疲弊を踏み台にして成り立っています。しかし、結果として損をしているのは顧客なのです。僕らの世界では、教師が疲弊することで損をしているのは、子どもなのです。
 
「課題に夢中になって取り組む、話し合う、議論する」こうした授業を構成することが教師の仕事なのですから。