教師の仕事

40歳に期に僕は授業というものをできるだけ削ぎ落としていくことで、最後には教師の「在り方」がマックスファクターだということを導きました。ここにゆれがあるとどんな方法もうまくいかないというものです。一方で僕は最近「教師の役割とは何か?」というものを考えています。5〜6年前と同じようにひとつひとつ削ぎ落としながら、教師というものをもう一度見つめ直そうと考えています。
 
近年は教師の仕事は、非常に幅が広がっています。こんなことまで教師がやらなければならないのか?と思うようなことまでどんどん仕事は増えてきています。そのすべてを普通にこなすだけで、帰宅は夜の8時コースです。しかし、その多くは実はいらないものです。少なくとも「必修」ではありません。
 
例えば、僕は子どもが1〜2日欠席しても電話連絡することはありません。保護者に向けて「心配しているんですよ」という気持ちや担任のきめ細やかさをアピールしたければ、保護者の帰宅を待って電話することになります。それだけで勤務時間内では無理です。朝、連絡があったのですから夕方僕から連絡を入れて確認することは少なくとも「必修」ではありません。
 
また、僕は子どもと休み時間遊ぶことはほとんどありません。「休み時間は先生は忙しいのよ」って言ってあります。遊ばないからといってクラスの子どもが僕を嫌な教師だと思うことはありません。(少なくともそれで不満を言われたことは一度もありません)
 
このようにやればいいことだけで、必ずしも必修ではないことは、学校内にあふれています。でも「必修」であることは何でしょう?
 
僕が絶対に削らないのは、「子どもを大人にする」ということです。限られた全ての労力はそこに向かっています。そこについては妥協はほとんどしないし、そこには時間もお金もをかけます。どうでもいいことはできるだけ削ぎ落としていくことで、教師とは何かがクリアになってくるのです。