宿題とは

僕は子供たちによくこう言います。
「昨日の宿題に意味はあったのかな?」
 
最近は学年ごとに宿題の進め方プリントや保護者向けに「宿題のさせ方」のプリントを配布する学校が多いようです。そのプリントをよく見てみると
「宿題は毎日やりましょう」
「宿題は○○分やりましょう」
「寝転んでやってはいけません」
「音読カードは必ずはんこをもらいましょう」
これって必要?
 
また保護者にも
「毎日宿題はやらせましょう」
「宿題のチェックをしてください」
「毎日音読を聞いてください」
これって必要?
 
僕は子供たちに
「宿題をやること自体に意味なんてないし、やるだけだったらやらない方がいい」
と語ります。
 
我々教師はよく「家に帰ってまで仕事を持ち帰らなければならない酷い勤務状況」だと訴えます。でも子供たちには「家で残業をやってきなさい」と平気で言って、どんどん縛り付けていきます。
 
もちろん、僕も子供に宿題を出します。でも子供たちにとってそれが単純作業で終わるようにはしていません。その宿題が次の日の授業につながるように、そして子供が一歩踏み出した宿題に広がるように声をかけます。
 
ですから、僕は保護者に宿題を見てくれとも、やらせてくれとも言ったことはほとんどありません。(ただし宿題ができるような環境を整えて欲しいとは言いますけどね) そして保護者には子供と揉めるから宿題を教えるなんてしない方がいいとアドバイスします。分からないところを勉強するのが学校の役割ですものね。分からないところを保護者が分かるまで教えるなんて学校という役割を放棄するようなものですもの。
 
教師は「宿題とは何か」 当然のこととは考えずに、一人一人がその意味について考えていく必要があるのです。