子どもの居場所

いつ頃からでしょうか? 買い物や用事のために車で市内の学校を通るとほとんど子どもが遊んでいません。放射線? いえいえ、原発事故の前からです。(ちなみに郡山市内の学校の校庭は除染が行われたことでほとんどが毎時0.2μSv以下となっていて、泥遊びでもしない限り、遊ぶのには問題はありません)
 
学校も安全管理のためにどんどん子どもに自由に解放することが難しくなってきています。放課後に子どもが残って、教室でかかり活動の計画を立てたり、勉強しているだけでも早く帰ることを促されます。(そしてもっと問題なのは「何もやることがない」なら帰らなくてはならないということ)さらに留守家庭の家にはいかない、公園で騒げば学校に苦情が来るなど、どんどん子どもが自由勝手に自分の考えで過ごせる場所がなくなってきています。
 
私は子どもが自由に選び、そして過ごせる環境を作るのが大人、そして社会の役割だと思っています。それも無償でね。放課後に勉強することも、音楽を演奏することも、物を製作することも社会がその器を作り、解放し、そして支援していくような仕組みづくりが必要です。私は子どもが自分でやりたいことを好き勝手にやれない、何か目的がないと何もしていけないという今の学校、そして社会には違和感を感じます。少なくとも僕が僕であることを形作る要素の一つは間違いなく、小学生時代にやっていた「ハチャメチャ」「勝手気まま」「興味本位」です。
 
今を育った子どもたちが大人になった時、学校というものをどのようにとらえている大人になっているのでしょうか。