問題がないクラスなんてないのよね また

ある方に「問題」という定義が大事と指摘を受けました。
確かに「問題」って曖昧でなんだか分かるようで分からないものですね。
でもこれをきちんと定義しようとするとしっくりときません。
 
「子供どうしの人間関係」「教師と子供の信頼関係「いじめ」「基本的な生活習慣」などなど。
 
どうしてしっくりとしないかというと「問題」というのはそれだけ複雑で、決して単純な考えや行動の結果ではないということなのです。
 
学級の「問題」と言ったときに、僕は「学級の中で子供たちがもっと良くしたい(楽しく勉強・生活したい)ときに、困っていること」くらいで考えています。ですから、僕はさまざまな問題が起こるときにはクラス全体で話し合います。
 
例えば、3〜4人の中で抱えている問題もその3〜4人の中で話し合うのではなくて、クラス全体で話し合います。よほどのことでない限り、学級みんなで話し合い、考えます。時には通常なら絶対にクラスで話し合わないであろう深刻な問題でも学級全体で話し合います。
 
というのは、多くの「問題」というのは、学級という「場」がそれを生みだしたり、助長したりしているものだからです。一見3〜4人の問題であるように見えても実は、最初に書いたようにその「問題」はほとんどの子供と関連しているものなです。(それは蜘蛛の糸のように細いものかも知れないけれども)
 
こうした話し合いの場を重ねていくことによって、クラスという「場」はより安定し、次の問題が起こったときにも子供たちの対応は柔らかく、迅速になっていきます。
 
子供は、大人同様にやんちゃで意地悪なものです。教師も子供も問題は起こることを前提にして、どんな形で解決できるか考える賢い場でありたいものですね。