1%

私は(私たちは)どの教師にも自分の(自分たちの)実践を理解して欲しいとか、実践をまねした方がいいとか思っていません。おそらく単純に聞きかじりして実践をトレースすれば大きく間違うことになりかねません。
 
僕の実践が直接的に取り込めるのは教師全体の1%程度だと思います。それでも「教師」と言われる人は百万人単位でおりますし、教師でなくても子供と関わる人の数を考えれば、たった1%でも数万人はいるということになります。
 
授業や教師としての姿について話しをしたり、書を書いたりすることは、相手を考えるとどうしても「相手に合わせる」ことになります。時には分かりやすい言語で、時には実践のごくごく初歩的な内容しか話ができません。僕の目的はそこにはなく、もっと高度で、もっと自由で、何にも束縛されないで思うがままに実践を積み上げていくというものです。
 
その教師の1%には、有り余る力をどう制御していいか分からない、教育の真理を追究したいなど、空回りしているような変な教師なんだと思います。僕らが導けるのはそうした教師だけなのかもしれないと考えるようになりました。