パッチを当てる

windowsは毎月OSの穴にパッチを当てて、セキュリティーを維持しています。ウイルスの進化には到底追いつかず、新しい穴が見つかり次第、どんどんパッチを当てていきます。
 
学校や学級も健全であれば、数枚のパッチを当てれば水のもれは防げます。また、こうしたもれをいち早く見付ける敏感な見立てと迅速な対応があれば、まず大きな問題に発展することはありません。
 
どんな問題も始めから大きな穴が開くことはありません。最初はしずくが垂れるように「したした」と。しかし、そのしずくに鈍感だとしずくは「ぽつんぽつん」とたれてきます。仕舞いには、しずくが「じょじょじょ」と誰にでも分かるくらいになってきて初めてパッチを当てることが、実は学校現場には多いのです。それでもその穴に的確に対処しきちんとパッチを当てれば問題はすぐに収まります。
 
しかし、時にその対処が遅れて他にも穴が開いてきます。もちろん始めは「したした」と。この連鎖で穴が10ほどになったときにはパッチの当てようがなくなります。まるでできの悪い穴だらけのプログラムのように。当てても当てても別のところから、そして一度ふさいだ穴からもまた漏れ出し、さらに傷口は広くなります。
 
何を言っているか現場の人間ならよく分かる話だと思います。
 
こうなる前に何度か軌道修正できる場面はあったはずです。「したした」と垂れていたしずくを見付ける、穴が一つのうちに的確に対処するといったように。
 
こうした状態になったらパッチを当てるレベルの対処では解決はできません。プログラムそのものが欠陥なのですから、もう一度プログラムを組み立て直すことでしか水漏れは防げないのです。
 
なのに現場では多くの場合パッチをどんどん当てていきます。そのうちパッチだらけになって何が何だか分からなくなってきます。
 
パッチをどんどん当てなければならないようなプログラムはそもそも「質」が悪いのです。そこにメスを入れずにパッチを当て続けると、最も被害を被るのが子供になるのです。
 
そうならないために私たち教師にとって必要なことって何でしょう?
(次回へ続く)