蛸壺

先日、東京の教員を退職された方と飲み会でお話した時、その方が「東京都の現状」を表す言葉として「蛸壺のようなものだ」という言葉がとても印象的でした。
 
首都圏では団塊の世代が大量退職を向かえたために、職員室の半数近くが20代で占められる学校もあるそうです。福島県のような地方だと10年後にこうした状況になると思います。こうした歪な年齢構成は、子供たちとの対人関係が基盤となる教育においては致命的な問題となります。
 
少なくとも僕が若く右も左も分からずにいた頃には、30代、40代、50代といった先生がある程度バランスよく、職員室におられました。50代の先生には、その年代だからこそ言えるアドバイスがありましたし、同時に僕のような教師にはとても厳しく、だけど愛情を持って叱ってくれる先生もおりました。
 
また30代、40代の先生はその姿や授業のあこがれとしての存在があります。その先生方の動きや言葉は、若い僕にはたくさんの刺激となり、力を高めることができました。
 
先の退職された先生は、現状を教室という蛸壺に閉じ込められいて、職員室という教師同士のつながりも遮断された状態にあると言います。そのために、離職率が大変高いと言います。これは戦前フォードが給料が高いにも関わらず、離職率がとても高かった状況のようなものです。(僕は教師の給料が高いとは思えないけど)
 
今、教師に求められているのはファミレスのようなサービスであり、均質でどこでも「ある程度」の質を持って授業のできる教師です。そのためにあらゆることがマニュアル化されてきています。学校としての教員を育てる機能が低下しているので、教育委員会、研修センターがその役割をになっているのです。しかし、これは同時に教師の孤立化を招き、上記のような蛸壺状態になるのです。
 
中学校だとこれが学年というチーム力が発揮されるのですが、小学校だとその大半を教室にいるので、どんどん孤独になっていくのです。この状況を変えていかないと、どんどん教育の質は低下していくことになることでしょう。