「マシ」という考えが引き起こすもの
東京オリンピック招致の際「東京は福島から250kmも離れているから安全です」という説明がありました。
同じく福島県では
「浜通り地方(福島県の海側の地域)では原発周辺(市町村)から比べてずっとマシです。風評被害です。」
「中通り(福島県の中部の人口密集地帯)では、浜通りの方から比べたらずっとマシです。」
「会津では、福島県という一括りにされて迷惑。会津はずっと汚染が低いのです。」
隣接する茨城県・栃木県・群馬県では、福島県よりもマシ。
同じ他の関東では、栃木・茨城・群馬よりもマシ。
西日本は東日本よりもマシ。
この理屈こそが最初の招致の際のコメントの裏側です。
原発事故で言えば日本の津々浦々全て放射性物質は降り注いでいます。
マシとかの話ではなく、我々がやらねばならないことは「それ」が引き起こされた原因を明らかにすることと、日本の全ての人々が安全で安心できる環境を整えることです。
マシという考えは、結局特定の人々を切り捨てる考えにつながっていくのです。
でもこうしてこのエントリーを書いている自分でさえ、今、福島第一原発で起こっている現状を掌握し、食い止める手立てを打てません。でもそこには、ニュースでは伝えられない多くの人々が、汚染を食い止めるために日夜噴騰しています。
私たちが大事にしていかなければならないのは、そうした想像力を持つことです。もしその想像力を持てないのであれば、興味を持って「のぞく」ということです。
「マシ」という考えは、その「想像を働かせる力」を奪っていくのです。