教師は「仕事」をしてはいけない

今多くの教師たちは疲弊しています。「仕事をしている」からです。
 
今の教育現場は「教師という仕事」に徹することを要求されます。
決められたルールで、そつなく、トラブルがおきないように。
そこにはクリエイティブな部分はほとんどなく、それぞれがそれぞれに仕事を黙々とこなしているというのが大部分の学校ではないでしょうか?
 
附属小学校を除き「教育をどう創るか」「学校をどう創るか」ということを現場サイドには全くといっていいほど求められることがなく、ベルトコンベアから流れてくる山のような仕事を黙々とこなしていくことで毎日が終わっていきます。
 
ここで考えなくてはいけないのは、そういう教師が子どもたちのモデルになっているということです。仕事に追われている教師は、子どもにも学習という「仕事」を要求することが多くなります。そして子どもの創造性や主体性を根こそぎ奪っていきます。
 
教師が忙しくなると「効率良く」子どもが動けるようにお膳立てし、滞りなく流れるように仕組んでいくことになります。まるで私たちの「仕事」のようにね。しかし、見栄えはよくてもそこに子どもの成長はございません。
 
僕たち教師はいつも創造的であり、挑戦的であり、主体的でなければならないはずです。決められたことを決められたようにそつなく作業するのは、均質な製品を大量生産するモデルです。しかし、人間を育てるというのは手間もかかるし、失敗もあるし、試行錯誤の連続なのです。それでも教師自身が常に前向きであり、創造的であれば子どもたちも力強く成長していけるのです。
 
そして何よりも職員室がそうした話が進むような知的で創造的で、共同的な空間でなければなりません。職員室が「仕事をする場」ではなく、「創造を生む場」であるようにしなければなりません。
 
たとえそれが「望まれていなくても」ね!