嫌でも改革は進みます

私は「不易と流行」という言葉が大嫌いです。正確に言うとこの言葉を使う人が大嫌いです。なぜなら「不易」のことしか考えていない人が使う言葉だからです。もしも新しい価値観や指導法、理念を自分に取り入れている、取り入れていこうとする人であれば、不易の部分など十分に承知の上であり、あえて「不易」なんて言葉を使うことはありません。この言葉を使う人は、新しいものに飛びついている人を戒めるために使う言葉として使うことしかしていません。
 
震災から2年が経ち、教育の世界も「これまで通り」という強力な圧力で引き戻そうとしています。しかし、一旦決壊したものはどんなに強く引き戻そうとしても基には戻りません。また横から漏れ出すだけなのです。エネルギーは常に安定した方向へ動き出しますからその方向性を無視してこれまで通りを貫こうとしてもうまくはいかないのです。
 
教育ではもはや「パッチを当てる」程度のことでは対応できないところまで来ています。水漏れが起こる度にパッチを当てる。でもパッチを当て続けられるほど教師一人の力なんて高くはないし、パッチを当て続けること自体にみんな疲れ切っているのが現状です。
 
でも私は改革は嫌でも進むと考えています。そしてその予兆はすでに起こり始めています。SNSを使えば分かります。僕も「えっこの人とこの人ってつながっているのね?」ってびっくりするくらい、急速にネットワークが広がり続けています。教育雑誌などを読んでみると、知っている先生だらけということもあります。こうしたことは「偶然」なのではなく、世の中の潮流の中の一つであり「必然」なのです。
 
こうしたネットワークはこれからも加速度的に広がっていきます。これまで無名だった実力者の先生もつながり始めます。SNS上ではすでに都道府県という垣根はどんどん低くなり、全国規模で先生同士が考え方や実践を共有し始めています。
 
僕はその一歩先を見据えて、子どもと子どもをつなぐ構想をパナソニック教育財団の助成研究で実践しました。その実践では教師以上に子ども同士をつなぐネットワークができれば爆発的に教育は変化することが分かりました。
 
しかし、現状ではこうした動きは「不易」には反することであり、分からない人には「怖いもの」「無駄なもの」でしかないので理解はされないことでしょう。
 
それでも日本は変革の時を迎えようとしています。このままのシステムではそう遠くないうちに破綻してしまいます。経済的にも、社会的にもね。
 
そしてその未来の教育を創るのはカリスマ教師でもなく、政治家でもなく、われわれ現場の教師の「総体」なのです。教師である私たち自身の姿こそが変革の柱なのです。以前は僕はちっとも進まない教育改革にうんざり入りしていたのですが、これが分かってからは心が幾分穏やかになりました。