一つに絞ってこだわるということ

私は料理が比較的上手です。ですが絶対に嫁さんにはかないません。もちろん嫁さんが家政科出身というのもあるのだけれども、そんなところに理由があるわけではありません。
 
全ての道の「上達」というのは実は同じようなプロセスをたどるのだなと最近つくづく思います。僕の作る料理というのは単発的で、一点豪華主義で、打ち上げ花火のようなものです。「毎日」の食事としては、味は濃く、ボリュームもありすぎ、脂っこすぎます。一方嫁さんの作る料理は、毎日食べることを基盤にしていので、次の日に食べても「おいしい!」って感じることができます。毎日食べるなら絶対にこちらです。ですから僕の作る料理なんて自己満足でしかないのです。
 
これは授業も同じじゃないかしら? 
 
「何でも読みあさり、聞きかじり、実践に取り組んでいく」これはとても意欲的で素敵なことなんだけれども、こんなことを若いうちにずっと続けてよいことではありません。「さまざななものを取り入れる」というのは、その系統性や理念、歴史、実践の細かなノウハウをよく理解しないまま行うということです。僕の料理のようなものです。ですから毎回味が安定せず、雑な味となります。
 
一方、一つのことを「毎日」続けることのできる学習は、見た目には地味かも知れませんが「毎日続けられる」ことで子どもの学習が積み上がっていきます。理念がぶれないから、子どもも安心して継続的に学び続けることができるのです。
 
僕はどんなに少なくても5年は同じ実践をやった方がよいと思います。料理はあれなんだけど、協同学習に関しては足かけ13年ほど行っています。学びの共同体として7年。『学び合い』が5年。そして初めて自分の考える授業が見えてきました。だから何を付け加えても「そこそこ」うまくいくし、失敗してもちょっとした微調整で対応できます。
 
特に若い先生は、30代、40代になって「馬鹿だったなぁ〜」って思えてもよいから何か一つのことをその理念も踏まえて、しっかりと学んだ方がよいと思います。その後の伸びが絶対に違うはずです。
 
学級や授業がうまくいかないと、何かを付け加えたくなるのが人というものですが、料理店でいうならば「お客が少ないから値段を下げる」とか「メニューを増やす」とか「大盛りを無料にする」というのようなものです。そうした店は遅からずつぶれますよね。客がこないのは「もう一度食べたい」という味ではないからなのです。
 
これは授業でも同じです。どんな授業方法でもうまくいくし、うまくいかないのです。それを決めるのは、その授業実践をしている教師の姿そのものにあるからなのです。ですからやたらとメーニューは増やしちゃいけない。自分のお店の看板メニューは何なのか、それを一言で言えるようでなければならないということなのです。それがリピーターの多いよいお店ですよね。
 
石の上にも3年。若い先生はまずは「これだ!」という授業実践を本気で学ぶことをお勧めいたします。
 
※追記
僕の料理はこれでいいと思っています。毎日のおいしいご飯は嫁さんが作ってくれるからです。毎日の安定した食事があるから僕のお馬鹿が許されるんですね(笑)