授業で大事なこと2

前回は子どもの「聴く」について話をしました。今回は逆に教師にとって大事なこととは何かという話です。
 
それは「観る」です。
 
学級崩壊させる教師は絶対にこれが出来ていません。崩壊させなくても、子どもとしっくりいかない、子どもが思い通りに動かない、話が聴けない…こうした状況を作るのは教師の観る力がないからです。
 
全校生・学年・ブロックなどで集ったときに僕だったら絶対に「その状況を見逃さない」という瞬間があります。そうした場合は必ず場を止めます。そして、その状況を子どもたちに知らせます。僕が見えていることを子どもたちと共有します。
 
しかし、そうした止めなければならない瞬間を見逃している教師は、それが誰の目にもとまるようになって初めて、逆上したり、怒鳴ったりすることになります。ちょうど僕に若く力がなかったときのようにね。
 
こうした見逃しは毎日、毎日、加算されていきます。いきなり子どもたちが言うことを聞かなくなることなんてありません。徐々に子どもたちが好き勝手を始めていて、教師が毎日それを見逃しているからなのです。その積み重ねがすごいからこそ、荒れたクラスのリセットが難しいのです。その先生に対してね。学級崩壊したクラスでも担任が変わるところっと子どもたちが変わるなんてことはよくあります。子どもが悪いんじゃないのです。
 
では、そうならないためにどうすればよいのでしょう? 観ていない教師の目線を追っていくとよく分かります。「個(人)を見ている」のです。ここでいう「観る」は面的、空間的に子どもの姿(状況)を「観る」ということです。五感の全てを使ってね。
 
例えば子どもの話し声。この声のトーンを拾うとこれが興奮している状況なのか、落ち着いている状況なのか分かります。これも「観る」です。また子どもの目線を追うのも「観る」です。超人的な力がないとできないように思われるかもしれませんが、古田さんは1ヶ月位でその「観る」が当たり前にできたのですから、問題は観ようとするか、観ようとしないかという子どもへの向き方一つなのだと考えています。
 
一流の教師は必ずこれが出来ます。これに例外はありません。そしてこれが出来ない教師を一流とは言いません。これができるからこそ、子どもへの次の一手が出せるのです。