任される

今年で11人の校長にお仕えしました。
 
私が最も信頼し、感謝しているのは、昨年退職された校長です。
授業研究や実践で名を上げたとか、権力があるとか、そういった方ではございません。その校長は我々教員を信頼し「任せる」ということ大事にして下さった管理職です。僕の教師人生で忘れられない「師」です。
 
昨年は生徒指導主事でしたが全権を持たせていただいて、さまざまな対応にあたることができました。そのおかげで通常の数倍の速さで問題の対処を行うことができました。小学校の場合、半日単位で問題がどんどんこじれていきます。もし朝、問題が分かったらお昼までには全ての状況を明らかにし、午後には対処できていました。こうした動きができるのは「任せられている」という了解があったからです。
 
多くの場合、複雑怪奇な連絡と判断待ち、そしてその対処で次の日になることもあり、問題が大きくなります。しかし、教師ベースですぐに対処できれば問題の解決は早いのです。もちろん独断でやってるわけではなく、任されているから、次の対応、そしてその次の対応を提案し、了解を得て動くということです。対応の速さは私たち教師の方が現場(子どもの様子、家庭の状況、人間関係など)に近いからできることなのです。
 
また、授業研究に関しても管理職が介入すればするほど、形式的になり、やらされ観が増していきます。昨年でいえば古田さんが「任され」ていたので、研修では、さまざまな方を読んで講習を受けることが可能でしたし、何よりも研修の場で先生方に会話が多くありました。任されたからこそ、工夫が生まれ、その人が伸びます。もし、そこで管理職が「いや、こうした方がいい」と言ったとたんに、我々は管理職の意図と先読みして、動くことになり、窮屈になります。また自由な提案は生まれません。
 
しかし、前校長は任せるだけではなく、原発事故の対応では「死ぬのが最も近いおれがやる」といって自ら高圧洗浄機を持って学校の除染にあたりました。こうしたすごい校長に出会えたことが私の宝です。
 
僕は担任として子どもたちにこれだけのことをできているだろうか? 全くできていません。僕はそうしたことが素直にできる人間になりたと思います。