軽重

教師の仕事にゴールはありません。
 
私には乳飲み子もおりますので家庭での仕事時間はかなり制限があります。それでもこの時期は職場で数時間の残業、そして家庭でも2時間ほどの仕事をやらないと年度末を乗り越えることはできません。ふっと時計を見ると次の日になりそうな時もあります。まあこの時期はどうしようもないのですけどね。
 
これまで何度か書いてきたように、コップにはコップ一杯分の水しか入りません。こぼれるだけなのです。ですから新たに何かを始めるということは、何かを削らないと入らないのです。でも多くの場合、どんどん詰め込もうとするものですから、こぼれます。問題は何がこぼれているか? ということなのです。こぼれるものは大きく分けて2つあります。
 
一つ目は家庭です。つまり家庭での時間をこぼしながら仕事をしていくということです。子どもとの時間、食事の時間、寝る時間・・・それらをこぼしながらコップに水を詰め込んでいきます。
 
二つ目は「授業」です。授業のための時間を削りながら新しいものを取り込みます。まあこの世界、10年も仕事をしていればそれほど準備はなくても授業はできます。「やる」だけならね。でも質の低い授業を大量に流していくだけです。新しい教育観、価値観、児童・生徒観、指導観・・・私たち教師自身が学び続けられなかったらすぐに自分の成長が止まります。その瞬間に教師ではなくなり、ただの饒舌なおっちゃん、おばちゃんに成り下がります。
 
一つ目がこぼれるのは、日常的でなければ仕方がないものの、二つ目の内容がこぼれるということを私たちは最も恐れなくてはいけないのです。ですから忙しい学校というのはダメなのです。うちの学校は教師の仕事を減らしたことで子どもの学力が向上しました。仕事が増えてくれば当然子どもの学力も下がると予想できます。教師が追い込まれた中でどうして前向きな話が生まれることでしょう?
 
こぼれないようにするためには仕事に軽重をつけることが大事です。最も優先されることは子どもの学力の保障です。何よりもね。そして子どもの成長とかけ離れるほどどうでもよい仕事で、軽くなります。仕事には軽重をつけて今一番優先しなければならないことに最も時間をかけることが大事なのです。